第十軍法務部陣中日誌から推定する、中支那方面軍の「犯罪率」

南京事件否定論者はしばしば、なんの根拠もなく(あるいは日露戦争当時のエピソードを根拠に)日本軍の軍紀は極めて厳正だった、と主張する。実のところ、日中戦争当時、軍の上層部が軍紀の弛緩を問題視していたことを示す資料は枚挙にいとまがなく、また一般将兵の私記、回想録などからも軍紀の弛緩ぶりは明らかなのであるが、そうした史料を提示しても満足のゆく返答が返ってきたためしがない。ここでは、第十軍法務部の陣中日誌(37年10月12日から翌2月23日まで分)を参考に、中支那方面軍の軍紀について推定してみよう。とりあげるのは殺人、および強姦である。


『続 現代史資料 6 軍事警察』(みすず書房)の112ページから117頁に掲載された、「被告事件既決/未決一覧表」のうちの既決部分のみを数えると、殺人では29人が、強姦では21人が処分を受けている(2名は罪名が強姦殺人で重複、また同一の事件で複数名が処分を受けていることがある)。もちろん私の数え間違いがなければ、のはなしだが、総数が55件100名ほどだから大幅な数え間違いの恐れはない。件数にして殺人が7件、強姦が16件である。
また、上記の数字は10月半ばからの4ヶ月強の期間におけるものなので、「1年間の、人口10万人あたりの犯罪認知件数」を推定するには様々な補正が必要である。2月に発生した事件は上記一覧表が作成された時点でまだ処分未定であろうから、計算の便宜もあって期間は3か月と見なす。南京事件の期間を含むのでそのまま4倍するのは妥当でないと思われるが、かといって38年2月以降殺人や強姦がぱったり止んだわけでもないから間をとって2倍する。次に、母集団の数。第十軍は3個師団プラス1個支隊(1個聯隊基幹)なのでそのまま計算すると7万人弱となるが、記録を見ると上海派遣軍に所属するはずの第101師団の将兵も処分を受けている。第十軍と上海派遣軍では一般に進軍ルートが大きく異なるのだが、101師団は上海戦での消耗が激しく(かつ戦意が極端に低く)、南京攻略戦では第二線に下がっていたためかもしれない。あるいは、中支那方面軍司令部が独自の憲兵隊を持たなかったため、管轄が第十軍に限定されなかったのかもしれない(この点、未調査)。さらに戦死・戦傷による補充も勘案して、切りのいい10万人を母集団としよう。
すると、殺人の1年間人口10万人あたり処分件数が14件、強姦が32件となる。認知件数はこれより多くなるわけだが、未決事件の数があまりないこともあり、また(私の立場から見て)安全な推定をするという意味で、処分件数=認知件数と見なしておく。


さて、ここで平成18年度版警察白書を参照してみよう。統計資料によれば平成17年における殺人と強姦の犯罪率(人口10万人あたりの犯罪認知件数)はそれぞれ1.1、1.6である。第十軍のそれぞれ14、32と比較すると違いは歴然としているのだが、ここでさらにいくつか補正すべき点がある。


まず、警察白書の犯罪率は総人口を母集団としているのに対して、第十軍の推定犯罪率は青壮年の男子のみを母集団としている点。強姦は(現在の刑法の定義では)男性しか犯せない犯罪であり、また男子でも幼児や高齢者の一部には事実上不可能であるから、実際の母集団は1億2千万ではなく3分の1の4千万と推定し、警察白書の犯罪率を3倍する(=4.8)。殺人についても幼児には事実上不可能であるし一般に男子の方が女子より殺人を犯す確率が高いとはいえ、他方で現代日本における殺人事件のうち相当部分をいわゆる無理心中が占めている点を考慮に入れる必要がある。戦地ではいわゆる無理心中が発生するような状況はほとんどないと思われるからだ。というわけで、殺人についてはプラスマイナスゼロ、1.1のままとする。これで第十軍の推定犯罪率が殺人=14、強姦=32に対して現代日本では殺人=1.1、強姦=4.8となる。


ところが、この数字をそのまま比較できるのは両者において犯罪認知数と実際に発生した数との比率が等しい場合に限られる。しかしながら、この点に関する限り、第十軍の犯罪率をより高く見積もるべき多くの事情が存在する。1)中支那方面軍20万に対して憲兵は100名ほど(上砂憲兵少将の証言)だったのに対し、現在の日本では約1億2千万の国民に対して約28万人の警察官がいる。軍隊には乳幼児がいないことを勘案しておおざっぱに比較すると第十軍の憲兵が10万人あたり50人*1なのに対して、警察官は人口10万人あたり200人いることになる。また、第十軍における殺人事件のほとんど*2、そしてすべての強姦において被害者は外国人(通訳を通して尋問する必要のある敵国人)である。さらに、基本的には加害者も被害者も定住しており警察官も(1年単位なら)同じ管轄で勤務する現代とは異なり、第十軍の憲兵隊、法務部は進軍にあわせて人員の一部を追随させ、一部は後方に残す…といった措置を迫られる。加害者はどんどん進軍していくし、被害者も難民として移動したりする。いずれの事情も、第十軍における事件の認知率が現代日本のそれより相当低いであろうことを予想させるものである。これらの事情を数量化することは非常に困難であるけれども、控えめな推定(控えめというより過少に過ぎると個人的には思うが)をおこなうためにとりあえず数字がはっきりしている10万人あたりの憲兵(警察官)数を採用して、第十軍の犯罪率を4倍しよう。


その結果、第十軍の犯罪率が殺人=56、強姦=128に対して現代日本では殺人=1.1、強姦=4.8である。戦時と平時という非常に大きな違いを考慮に入れてないじゃないかと言われるかもしれないが、南京事件否定論者によれば当時の日本軍の軍紀は厳正だったはずなんだから無視しても問題はないはずである(本当に厳正だったなら)。ちなみに強姦の発生率が128というのは、現代世界で強姦発生率が最悪の国家の一つである南アフリカの123(2000年の数字)を上回る。アジアで最悪の国家の一つである韓国と比べても10倍以上である。これが、かなり控えめな推定であることを強調しておく。例えば強姦は親告罪であるが、70年前と現在とで、被害女性が訴え出る割合を比較すれば前者の方がはるかに低いであろうことは直観的に明らかであろう(まして敵国の憲兵に訴え出ねばならないのだから)。


追記:ここでの推定は素人が限られたデータをもとに出しているものなんで、例えば128というのが正しいかどうか、64じゃないかとか256くらいはあるんじゃないかと言われたら特に反論はありません。ただ、強姦が16件というのは(「南京大虐殺」のイメージからすると)たいしたことじゃない、軍紀は厳正だった、という主張の根拠にこの陣中日誌が用いられることがあるので、膨大な暗数があるであろうことはこの際重視せず、とりあえず陣中日誌にある数字だけを元にして現代日本と比較してみるとどうなるか? を示すのが意図です。

*1:ここでは憲兵がカヴァーすべき日本軍駐留・進軍地域の中国人住民の数は無視しているので、実際の差はさらに大きいはず。この注追記。

*2:すべてについて事件の内容を調べていないため。日本兵同士の殺人事件が含まれている可能性を考慮した。この注追記。