ネトウヨの言う通りなら日本人は皆殺し
藤原彰が『天皇の軍隊と日中戦争』で紹介している三光作戦(燼滅掃討作戦)関連の資料、北支那方面軍の「第一期晋中作戦復行実施要領」は「燼滅目標及方法」を次のように定めている。
- 1、敵及土民を仮装する敵→殺戮
- 2、敵性ありと認むる住民中十六才以上六十才迄の男子→殺戮
- 3、敵の隠匿しある武器弾薬器具爆薬等→押収携行やむを得ざるときは焼却
- 4、敵の集積せりと認むる糧秣→押収携行やむを得ざるときは焼却
- 5、敵の使用する文書→押収携行やむを得ざるときは焼却
- 6、敵性部落→焼却
(藤原彰、『天皇の軍隊と日中戦争』、99ページより孫引き、カタカナをひらがなにあらためたほか、Web上で再現できないレイアウトを改変。)
最近、この資料を「三光作戦否定論者」に紹介する機会が複数あったのだが、帰ってきた反応がそろって「ゲリラ(便衣兵)は殺されて当然だろ?」というものだった。旧日本軍でさえ、概念としては「土民を仮想する敵」と「敵性ありと認むる住民」とを区別しているのに(まあ男だったら「殺戮」してしまうのは一緒なのだが…)、それすら無視。だいたい、中世の戦争ならともかく、近代の戦争なら敵国の住民が敵国政府(軍隊)を支持しているのは常態であって、敵国の住民はすべて潜在的には「敵性ありと認むる住民」ですわな。実際、第二次世界大戦以来戦争においては「敵国の住民を敵にまわす」戦争が当たり前になっており、非戦闘員の犠牲が絶えないわけだが、それでも「できることなら非戦闘員から犠牲を出すのは避けたい」と考えるのと、「敵なんだから殺して当然」と考えるのとでは大違いである。沖縄戦の際、沖縄の非戦闘員は米軍にとって「敵性ありと認むる住民」だったが、じゃあ米軍が沖縄の非戦闘員を皆殺しにしていたとしても文句を言わないのだろうか? ポツダム宣言受諾が決まった後もクーデターを起こして徹底抗戦しようという計画が有ったことはよく知られているし、今年になって石井四郎が占領軍に対し細菌戦をしかけるプランを持っていたことが明らかになったりしたわけだが、もしこうした計画が実行されていれば日本人全体が「敵性ありと認むる住民」と見なされてもおかしくなかったわけである。
自国の領土が戦場となる可能性にまったく想像力が及ばない戦争論。「お花畑」「平和ボケ」と言わざるを得まい。