「ファルージャの戦いは、硫黄島と同じように、尊敬をもって語られるようになるだろう」

11月10日、国立海兵隊博物館(でいいのかな? 原語は the National Museum of the Marine Corps )の式典でブッシュが語った言葉より。朝日新聞の報道をみたときには思わず「正気かよ」とブクマしてしまった。まあ日本だって1937年8月に中国諸都市への戦略爆撃を開始した際には、「世界空戦史上未曾有の大空襲」と自画自賛してたわけだが。


それにしても、イラク戦争についてブッシュが語る際に日米戦争が参照されるのはこれが初めてではない。そもそも9.11に際して「真珠湾攻撃」が想起させられていたわけだし。他のいかなる戦争に比べても第二次世界大戦、対日戦争がアメリカにとっての正統性の根源になっていることがよくわかる。それは結局のところ、「あの戦争にアメリカが参加したことによって、世界はよい方に変化した(アメリカが参戦していなかったら、もっと悲惨な世界が到来していた」と自信を持って語ることができる、ということなのだろう。もちろん、1938年の時点で、あるいは1937年の時点でアメリカが別の行動をとっていたら…と考えていけば評価はさらに複雑になるとはいえ、1941年の時点で(それまでに起きたことを前提として)考えた場合に、アメリカの参戦が「よりよい」結果をもたらしたことを否定するのは容易なことではなかろう。
翻って、「大東亜戦争」を肯定する人々は、日本が勝った*1あとにどのような世界を構想しているのだろうか。そこで構想される世界が現実の世界よりましであることを示さない限り、「日本の戦争」に対する国際的な評価を覆すことは到底かなわないだろう。

*1:対米戦争に最終的に日本が勝利する、という仮定をすると「架空戦記」ものみたいな非現実的なはなしになるので、早期和平に成功するとかそもそもアメリカの参戦を回避する、といったかたちで。