無錫旅情

同じく20日付け朝日新聞夕刊、「論説委員室から」。無錫氏当局者が企業誘致や観光振興のため街を日本人にアピールしようと考えたことが中山大三郎作詞・作曲の「無錫旅情」誕生のきっかけだった、と紹介されている。

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 列車で2時間ほどの上海で、小泉前首相の靖国参拝などに反発したデモが吹き荒れたときも「無錫では何の混乱もなかった。ここは政治的な町というより経済を大事にする町だ」と市の当局者は話す。
 こういう地域があることは、日本にとってありがたい。「政経分離」と甘えるだけでは友好は深まらない。
(原文のルビを省略)

まあコラムに一々目くじら立ててもしかたないのだが、「列車で2時間ほどの上海」という記述から当ブログの常連読者の方には想像がつくように、無錫は南京攻略戦の戦場になった街で、11月25日に参謀本部は中支那方面軍に対し“無錫、湖州を結ぶ線で以後の作戦を準備せよ”と伝えている。上海派遣軍参謀長飯沼守の11月20日の日記には“第9師団が蘇州を占領、旅団長が指揮する歩兵三大隊を基幹とする部隊が無錫に向け追撃中”といった趣旨の記述がみえる(占領は25日前後)。「甘えるだけでは…」などと格好を付けるのならそれくらい思いついてもよさそうなものだ。本当に「政治的な町というより経済を大事にする町」ならばなにもこちらから焚き付ける必要はないわけだけれども、「経済重視」で封印されていた情念が後になって噴出するとかえって厄介なことにならないとも限らない。日本だって思い当たることあるでしょ?