某所での自コメントより

グッテンタグ監督による映画制作についての報道をきっかけに、南京事件に言及するエントリがたくさん書かれたわけだけれども、日常的に南京事件否定論を書き続けているブロガーとは一味違う感じで、きちんと議論が成立するケースもあった。そのなかのひとつで、「否定論者はテレビに出てきてしゃべっているのになぜ“あった派”もテレビに出てこないのか?」という質問に対する私のコメントを転記(適宜改変してある)のうえ増補。ブログ主さんではなく別のコメント投稿者とのやりとりなので、リンクははらない。


テレビというメディアはそもそも丁寧な議論に向いていない。
例えば、テレビで大学教授が「人口20万のところで30万人殺せるはずがない」って発言すれば、予備知識のない視聴者が「おおっ、そりゃそうだな」って思うことは少なくないだろう。では、これに対してテレビで反論しようとするとどう言わねばならないか?

  1. 俗に「南京」と呼ばれている地理的範囲には「南京城内」「南京城区(狭義の南京市)」「南京特別市」があり、さらにこれとは別に南京城内に設けられた「安全区」という空間的範囲がある。
  2. 1937年12月初旬における公式の人口統計は存在しない
  3. 戦争前の人口は「南京城内=約85万」「南京城区=約100万」「南京特別市=200万以上」であった
  4. 陥落前後の安全区の難民数については一応信頼できる証言があるが、安全区以外の城内、城外の人口推移については決定的かつ包括的な証言は存在しない。断片的に「城外にも多数の難民がいた」「上海方面や周辺農村部から難民の流入があった」といった証言があるだけである。他方、安全区以外は「無人」であったことを決定的に示す証拠ももちろんない
  5. 「人口20万のところで…」という表現は南京防衛軍の将兵の存在を無視している。南京事件についての一般的な認識は、捕虜や敗残兵、非戦闘員の殺害が生じたというものなのだから、「30万人説」の妥当性を判断するには軍人の数を考慮に入れる必要がある。しかし、上海方面から敗走してくる将兵や、南京で急遽招集された兵士の存在もあるため、5万説から15万説までの開きがある
  6. それゆえ、陥落当時の南京の人口が「20万」であったということはまったく証明されておらず、したがって「30万人殺害は不可能」ということも証明されない

となるわけだ。文章で読み比べればともかく、テレビ(一気にしゃべらせてもらえるのはせいぜい数十秒だろう)で有利になるのはどちらか、明白というものである。


しかも、「人口20万のところで30万人殺せるはずがない」への反論は「不可能であることは論証されていない」という、テレビ的にはきわめて歯切れの悪いものである。というのも、まずは「不可能でない」ことを明らかにしておかないと「大虐殺はあった」という主張に耳を傾けてもらえないし。そのうえ、「人口20万のところで30万人殺せるはずがない」に対して「諸々の史料から推定すれば20万人近くが殺害されたと推定できる」と反論しても、テレビでその諸々の史料を一々紹介するわけにいかない以上、「虐殺不可能論」のインパクトには勝てない。南京事件のように空間的範囲、時間的範囲、関わった人間の数のいずれにおいても大きなスケールの出来事の場合、事件の全貌を鳥瞰した人間は存在しないのであって、一人一人は事件のごく限られた断面を目撃したに過ぎない。したがって、現存する史料も一つ一つは事件の一断面を伝えているに過ぎない。事件の全貌を描き出すには、ジグソーパズル(しかもかなりのピースが失われているパズル)を組み立てるような作業が必要になるわけだ。
これに対して「虐殺不可能論」は、たった1枚の文書(安全区の難民数に関するラーベの報告書、など)をもとに大虐殺を否定してしまう。不可能論は史料の積み重ねではなく、逆にそれ以外の史料の無視によってこそ成立しており、そこがいかにもテレビ向きなんである。