味方からも盗む日本軍
吉田裕が『日本人の戦争観』(岩波現代文庫)で言及していた高橋三郎の『「戦記もの」を読む―戦争体験と戦後日本社会』(アカデミア)を古書店で見つけたので購入。アマチュアの場合どうしても利用可能な資料が限られてくるので、全体の見取り図となるようなこの手の研究は非常に参考になる。
最近も従軍記を何冊か買って目を通しているのだが、よく言われるように海軍と陸軍(そして航空部隊)、将校と下士官・兵士によって従軍記の雰囲気は大きく変わるし、将校の中でも幹部候補生制度による将校と士官学校出身の将校でまた違う。陸大出になるともはや自分で従軍記など書かず他人が評伝を書いてくれたりするわけだ(自分で書くとしたら戦史だったり回想記だったりする)。
兵卒だった人の従軍記を読んでいるとまず間違いなく出てくるのが「ビンタ」「員数合わせ」「徴発(掠奪)」の3点セットである。稀に「自分は(ほとんど)殴られなかった」という記述を見かけるが、その場合でもビンタが横行していたことは前提となっている。残りの2点はいずれも軍隊の外では(軍隊内でも軍律を厳格に適用すれば実は)単なる窃盗である。とにかく味方からも盗むのである。敵地での盗みなど起きない方が不思議である。ある連隊の連隊史に、中国戦線で金持ちの家の床下から金の延べ棒を「徴発」したことを悪びれもせずに書いてあるのを発見した時にはあきれてしまった。「貧民から盗んだのではなく金持ちから盗んだ」「内地まで持ち帰ったのではなく、戦地で“苦力”などにやってしまった」ことが罪悪感をもちにくくしていることは理解できるが、それにしても所有権に対する“柔軟”な解釈がまかり通っていたことが知れる。