馬鹿に馬鹿と言うのも馬鹿、と言う馬鹿に馬鹿と言うのも馬鹿だが

一つの行動パターンとして興味深いのでメモ。


http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20070110/p2#c1168535346
http://d.hatena.ne.jp/jyl2142/20070109#c1168443594
http://d.hatena.ne.jp/jyl2142/20070110#c
http://d.hatena.ne.jp/jyl2142/20070111#c
における「おおじじ」氏=id:seabouse氏だという前提で
http://d.hatena.ne.jp/seabouse/20070110#1168445822
を読んでいただきたい。

なぜか"seabouse"というIDでログインせずにはてなに"seabouse"というハンドルでコメントしたりもしているので、アイデンティティには若干疑問が残る。しかし内容的にも

人はそれぞれ、自分の都合の良いように解釈したがるもんですから。互いに自分の考えを変える気が無い相手に、持論に反する内容を認めさそうとする議論ほど不毛な事は無いです。

という「おおじじ」名義のコメントと符合するので、同一人物だと考えてもよかろう。当事者から説得力ある反論があればもちろん撤回するが。


南京事件でも靖国でもいいんだけど、よく聞かされるんだよね。この手の相対主義を盾にとった「議論は無駄」論。しかも、両当事者の一方(この場合なら米田氏ね)に肩入れしているのは明白なのに*1、まるで中立であるかのように。そして、自分が肩入れする側が「都合の良いように解釈したがる」ことについては決して非難しない。要するにこの種の相対主義が狙っている効果とは

  • 自分が肩入れしている側(ないし自分自身)がとどめを刺されないうちに議論をうやむやなかたちで終らせる
  • どのような事実を突きつけられようとも、自分が肩入れしている側(ないし自分自身)が見解を変えないことを正当化する

なんだろうね。
しかしあれですよ、別に「神は実在するか」とか「所得の再配分は道徳的に正しいか」みたいなはなしをしてるんじゃないんですよ。この場合で言えば焦点になっているのは、「関東軍の特殊工人は法的にどういう位置づけがなされているのか」とか「規定通りに賃金は支払われていたと推定するのが妥当なのか、そうではないのか」といったはなしですよ。普通に議論していればちゃんと結論が出る(もちろん“現時点で公表されている資料に基づけば”といった留保はついてもよい)はなしですよ。あるいは、「相手は賊なんだから、本来国際法としては極刑が当たり前」などという、文明人の間では議論するまでもなく「間違っている」と切って捨てればすむようなはなしです。
しかもですな、もともとこちらは「朝日の報道も不親切だよね」というスタンスでエントリ書いてトラックバック送ったのに、「鶏」がどうのこうのと芸のない罵倒モードに入ったのはあちらですよ。「勝ち負け」を気にしてるのはあっちなの。で、さすがに勝ち目がないことに気づいたらしく逃げ出そうとしているところに「勝ち負けにこだわる議論展開を行う馬鹿」とかいって助け舟を出したつもりの人間がいるわけですな。「ディベート」なんてくだらないものの流儀を持ち込んでる、なんてのはとんでもない言いがかりだ。議論は無駄、とか安直に相対主義を振り回す暇があったらぎりぎりのところまで議論を煮詰めてみろ、っての。そうして初めて「これ以上議論しても無駄」って言えるんだよ。まあ、「相手は賊なんだから、本来国際法としては極刑が当たり前」と信じて疑わない相手と議論しても無駄、と言われたら否定はしないけどね。

*1:なんせ、よりによってグースサイトから戦時国際法の“解説”引っ張ってくるんだものなぁ…。米田氏には「有名人」とか言われちゃったけどとんでもない、無名ですよ無名。さもなきゃ名高いネット否定論者をもってくるか、っての(w あと、笑っちゃうのが愛・蔵太氏を引き合いに出して「印象操作」にいそしんでるんだけど、それが「都合の良いように解釈」した結果だという自覚がないところ。