「原爆投下しょうがない」by 防衛大臣(追記あり)
どのタグをつけるべきかちょっと迷うが…。長崎県島原市生まれ、長崎県第二区選出の久間センセイがこうおっしゃったとのこと。
久間防衛相、米国の「原爆投下しょうがない」
久間章生防衛相は30日、千葉県柏市の麗沢大で講演し、先の大戦での米国の原爆投下について「長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない」と述べた。(…)
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久間氏は講演で、旧ソ連が当時、対日参戦の準備を進めていたと指摘。その上で米国が旧ソ連の参戦を食い止めるため原爆を投下した側面があるとの見方を示し「日本が負けると分かっているのにあえて原爆を広島と長崎に落とし、終戦になった。幸い北海道が占領されずに済んだが、間違うと北海道がソ連に取られてしまった」と強調した。
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Nikkei Net 6月30日
これはなんとも当時の日本政府・日本軍の当事者能力および責任を無視した議論だ。別に「後知恵」に頼らずとも降伏という選択をして然るべきポイントは何度もあった。特にサイパン陥落(44年7月)は、もしこれを降伏選択の契機にしないのであれば、空疎な「絶対国防圏」なるものをぶち上げた責任が厳しく問われるべきポイントであろう。
それに、アメリカ側の政治的な主張を鵜呑みにしてアカデミックな研究成果をまるで無視しているかのような発言であるところも、米下院での慰安婦決議が話題になっているいま、問題にされるべきであろう。この発言と慰安婦決議案(あるいは河野談話)と、はたしてどちらが現代史家の知見に忠実か。
以下追記:『サンプロ』をちらっとみていたら案の定慰安婦決議が話題になっているタイミングで久間発言が出たことが問題にされてました。慰安婦問題について丁寧なエントリを書き続けておられる「blog*色即是空」さんが「米「慰安婦」決議の審議の内容」というエントリで審議のもようを「しんぶん赤旗」に基づき紹介しておられますが、そこからの引用です。
ポール議員(テキサス、共和)
不本意ながら決議案に反対する。性奴隷制度を擁護できないが、三世代もあとの人々が、謝罪を求められなくてはならないのか。われわれに裁判権があるのか。当委員会では、グアンタナモの(収容所問題)を検討すべきだ。戦争では市民への爆弾投下をどの国でもやっている。事実、戦争終結のため市民に爆弾が落とされた。おぞましいことである。これへの謝罪も議論されるべきだ。
決議案に「反対」し「市民に爆弾が落とされた」のは「戦争終結のため」という認識を持っている議員ですら「しょうがない」ではなく「これへの謝罪も議論されるべきだ」という認識をもちうるわけですね。
それから、731部隊研究で有名な(といういい方がご本人の意に添うものかどうかわかりませんが)常石敬一さんがこの発言について2本のエントリを書いておられますので、すでにご承知の方も多いとは思いますが紹介させていただきます。
http://tsune-3.cocolog-nifty.com/non_title/2007/06/post_1c4e.html
http://tsune-3.cocolog-nifty.com/non_title/2007/06/post_645a.html