「否定論の「性暴力」観」補足

「旧日本軍を免罪・擁護するために、現代を生きる自分の物差しを無批判に70年前に当てはめる」と言えば、先日問題にしたnekoyama氏の「強姦多発」否定論もそうです。このエントリのコメント欄でN・Bさんと私が婉曲なやりとりをしていますが、何が「あまりに不愉快」だったのか、補足しておきます。
「否定論の「性暴力」観」で言及した法華狼さんのエントリのコメント欄では、atoreaさんがnekoyama氏の発言をパラフレーズして「いやもうなんと言っていいか・・・」と呆れておられます。要するに、そういうことですよね? しかしあたりまえのことですが、人間が住むところどこにでも日常的な性の営みはあるわけです。nekoyama氏が言っているのは、「華北の男性*1が性的なパートナーにしている華北の女性は、オレの性的対象にはならない」ということです*2。「誤解を恐れず言わせていただければ」、華北で女性を強姦した兵士の方がまだしも相手を人間扱いしていた、ということになるでしょう。はっきり言えば、ここにみられるのはニュルンベルク法を支持したメンタリティと同質のそれです。

*1:ここではさしあたり異性愛のケースだけを問題にすることにします。

*2:そしてその、「現在の、自分の価値観」を70年前の日本兵に投影しているわけです。