そのクリーシェはもう聞き飽きた

「Stiffmuscleの日記」さんの「夢のコラボ 秦郁彦氏と古森義久氏の対談」より。論壇の『ムー』こと『WiLL』10月号における、「バターン死の行進」についての秦郁彦の発言。

(…)もっとも「なぜ捕虜を車に乗せなかったんだ」と非難されても、護衛の日本兵も歩いていた。日本の兵隊は歩くのが文化なんです。
 今の日本人の若者が聞いても理解できないような文化的差異を、時代も国も違う人間が理解するのは難しい。だから時効という制度は人類の知恵なんです。

「歩くのが文化」ですと! 単に貧乏で工業生産力に劣るため軍の機械化が遅れてただけじゃないですか! それとも、全師団を自動車化するだけの生産力と予算はあったけど、「文化」ゆえに歩いていたとでもおっしゃるので?
実際、旧日本軍の戦争犯罪の背景には多く日本の貧しさがあると思われます。略奪は食料を前線にまで送る輸送力が欠けていたのが一因ですし、工業生産が熟練工の技術に依存しているため徹底した動員が行なえず、米軍のようにローテーションで休暇を与える余裕がなかったことが軍紀の弛緩をもたらしている。捕虜の処遇だって、食料と医薬品の輸送・配給が十分に行なわれていればもっとましだったはず。なにより、いわゆる“命の値段”はその社会の豊かさによって変わってくるというのが残念ながら実情ですから、貧しかった日本では端的にいって人権意識が乏しかったわけです。
しかしそんなことは、いくつかの経済指標とあわせて説明すれば、ほとんどの高校生にとって理解できることです。そして、貧しさを背景として様々な戦争犯罪が起こったことを理解した高校生は、当然こういう疑問をもつでしょう。「貧しい日本が、なぜ国力に見合わない大戦争をやったのか」と。以前にもどこかで書いたことがありますが、別に中世の戦争について論じているんじゃないです。当時を生きた人々がまだ生存している、我々の祖父の時代の戦争なんですよ。「従軍慰安婦問題」についても然り。当時でも、買春というのは胸を張ってできることではなかった。軍もそう考えていた(公文書に「醜業」と書くくらいです)からこそ慰安婦の徴集にあたっては軍の関与を隠そうとしたりもしたわけです。貧困故に少女が“売られてゆく”のは、当時の人々にとっても「どうでもいい」ことではなかった。二・二六事件の際に、クーデター部隊の青年将校たちが「身売り」の発生するような農村の疲弊を訴え、国民の同情を集めたのはそのためです。当時の日本でも人を殴ることは犯罪であり、軍隊内での私刑は公式には禁じられていました。「ビンタは日本の文化だ」と言い抜けたところで捕虜への殴打が免罪できるわけないんです。現在、旧日本軍が(そして現在の日本政府が)責任を問われている各種の戦争犯罪のうち、本当の意味で“当時は道徳的にまったく問題のないことだとされていた”と言えるものなんて、私には思い当たりません*1
ふたこと目には「現在の価値観で過去を裁くな」と主張する人々が自覚しているかどうか分からないのですが、この論法で旧軍を弁護すればするほど、当時の日本人の道義的水準は極めて低かった、ということになってしまうんですね。それこそ「自虐的」ですよ。「先人を貶める」行為ですよ。


他方で、旧日本軍を免罪・擁護するために、現代を生きる自分の物差しを無批判に70年前に当てはめる人々がいます。「戦場になる街に非戦闘員が多数残留しているはずがない、だから南京大虐殺はなかった」という否定論がその典型でしょう。

*1:もちろん、戦時性犯罪に対する捉え方は、フェミニズムの影響によって大きく変わりました。しかし強姦や強制売春が当時の日本でも犯罪であり、道徳的な「悪」であったことには変わりありません。