これはひどい

古森義久という人物が、自分の読者の知的水準をどの程度のものと推定しているのかがよくわかるエントリです。


ステージ風発 「朝日新聞がカンボジア大虐殺を「優しい」と評した――証言者の死で蘇る記録」


ここで画像により引用されている記事の内容を「カンボジア大虐殺は優しい」と要約したら、どれほどハードコアな反共主義者の教師でもバツをつけざるを得ないでしょう。小学生にだって、この記事で「優しい」と評されているのは「カンボジア解放戦線」の、プノンペン陥落前後の振る舞いだからです。もちろん、この記事は暴力というものを本質主義的な観点(特有の民族性というものがあり、それによって大虐殺が起きやすかったり起きにくかったりする、という)でとらえており、その点は決して後知恵によらずとも当時において批判可能だったはずですが、それにしたって後に起こるであろう大虐殺を予見できなかったという問題を、まるで進行中の(ないしすでに起きてしまった)大虐殺を「ない(なかった)」と報じたかのようにすり替えるこの稚拙な手段はどうでしょう。わざわざ指摘するのもばからしくなるようなはなしですが、さっそく ni0615 さんがツッコミを入れているようにこの記事は75年4月19日頃に掲載されたものです(古森氏が、記事の日付を明示しないというおよそジャーナリストとは思えないような引用のしかたをしており、かつ asahi.com の電子データベースではこの時期の記事が検索できないのではっきりとは分からないのですが、外電の日付からして19日か20日でしょう)。つまり大虐殺が起きそれが海外にも知られるようになる以前の記事です。朝日を批判するにしたってもっとふさわし記事をもってくることはできなかったのでしょうか? このエントリを読んで「おおそうか、朝日新聞は実際に起きている大虐殺を否定し“優しい”と評したのか」*1と考える人間はまさかおるまい、と思ってコメント欄をみると…。

*1:さらにツッコンでおくと、朝日が大虐殺を「否定」したと主張するのなら「優しい」と評した、というエントリタイトルはその主張と矛盾します。存在しないと主張しているものを「優しい」と評するバカがいるでしょうか?