ポル・ポト派特別法廷、開廷へ(追記あり)

asahi.com 2月10日 「30年超え裁く大虐殺 ポト派特別法廷17日開廷

 カンボジアポル・ポト政権(75〜79年)によるカンボジア大虐殺を裁く特別法廷が2月17日に開廷する。犠牲者170万人とも言われる大虐殺から30年余り。真相解明と責任を問う初めての法廷の仕組みと課題をまとめた。
(後略)

問題点の一つとして指摘されているのは次の点。

 特別法廷ではこれまでに5人の元ポト派最高幹部らを拘束、うち1人を起訴した。しかし、実際に国民の虐殺や拷問などを実行した多くの元ポト派兵は訴追対象外だ。一部幹部に対する司法手続きが、同法廷の大きな目的の一つである国民融和につながるのかも注目されている。

今日11日の朝刊には「裁かれる虐殺 ポル・ポト派特別法廷 (上) 刻まれた恐怖 証言へ」と題し、法廷への参加を決意した二人の生存者(被害者遺族)を紹介しているが、同時に参加を躊躇う遺族の声も紹介されている。
一つの理由はもちろん、報復への懸念であるが、もう一つは次のようなもの。

 不参加を決めたのにはもう一つ理由がある。特別法廷で裁かれる対象が、指導的な立場にあった元幹部らに限定されていることだ。
 夫らを殺した元兵士がパイリンで暮らしていると、知り合いから聞いた。「家族に実際に手をかけた者が罰せられないのなら、自分にとってはあまり意味がないのでは」と思い直した。

指揮命令系統の下位に位置していた容疑者・被告の「命令に従っただけ」という抗弁を全面的に認めることはできないが、他方で「指導的な立場にあった」者がまずは裁かれるべきだ、というのは第三者には受け入れやすい論理に思えるが、当事者にとってはかならずしも簡単に割り切ることのできる問題ではない、ということなのだろう。


追記:コメント欄で dimitrygorodok さんから次のような指摘をいただきました。

南アフリカにおいては差別政策廃止後に真実和解委員会が設置され、刑事罰の免除と引き換えに弾圧や暴力的な反政府活動の加害者が公開の場で告白を行うといった取り組みがなされた訳ですが、そこでは素直に罪を認める者ばかりでなくあくまで自己の正当性を主張して譲らない者もおり、被害者や遺族にとってはかえって不満のつのるケースも有ったようです。

まさに同様なケースが12日朝刊の「裁かれる虐殺 ポル・ポト派特別法廷 (中) 互いに責任なすりつけ」で紹介されています。

 義父をはじめ、ポル・ポト派の指導者は立派な人たちだった。下の者が勝手にしたことの責任を幹部だけに押しつけるのは間違いだ」。カンボジア西部のパイリンで、元ポト派兵士のリン・ソーさん(58)は訴えた。

この元兵士はヌオン・チアの娘婿。といっても結婚したのはポル・ポト派が政権を追われたあとの85年になってからのことだ。

(…)収容所も処刑場も「聞いたことはあるが、私たち家族の人生とは無関係だ」と語り、特別法廷の意義も否定した。「過去の話をしたって意味がない。これからを大切に生きた方が国のためだ」

「未来志向」に類する提言は誰が口にするかによって意味あいがまったく変わってくる。
ポル・ポト派の兵士の現在を追っているという写真家ヘン・シニット氏のコメントも紹介されている。

 元兵士らはあまり多くを語りたがらないが、明らかな共通点があるという。「自分は虐殺には関与していない」という主張と、「悪いのは上の人間」という指弾だ。
 そんな元兵士らにとり元幹部だけを裁く特別法廷は「都合のいい場」だとシニットさんは指摘する。「元幹部だけで終われば、自らの罪は追及されずに済む。元兵士らは法廷の成り行きを、息をひそめて見守っている」

シニット氏が指摘する「共通点」は、元ポル・ポト派の兵士に共通するだけでなく、より一般性をもつ現象であるようにも思えます。