「期待権」について追記

昨日のこのエントリへの追記です。
まず、高裁判決*1こちらです(PDF)。一部を以下に引用します。強調は引用者によるものです。

2 一審原告バウネット及びC1の本件番組についての期待と信頼
(1) 本件番組制作行為の特質としては,前認定のとおり,本件番組の企画については,当初,一審被告NEPのC12がC4の講演内容に強く感銘を受けて一審被告DJのC5とともに立案し,一審被告NHKのC9がその趣旨に賛意を示して,一審被告NHKのETVで放送されることを前提に,一審被告らが共同して練り上げたものであり,本件提案票の記載と一審被告NHK提案書の記載は趣旨が同じであるとの共通の認識のもとで,一審被告DJが取材を行い,その得られた素材を基にして,一審被告らが合同して編集行為を繰り返し行い,最終的に完成された本件番組を一審被告らの共同制作として一審被告NHKが放送したことを指摘することができる。そこで,本件において法的保護に値する期待と信頼の有無,侵害行為の有無を検討するに当たっては,本件番組の企画,取材,編集及び放送の一連の行為を念頭に置くべきである
(2) 一般に,放送事業者が放送番組を制作して放送する場合,番組制作を担当する部局での担当者による取材活動がされた後,又はこれと並行して,取材活動によって得られた素材等を実際に放送する内容に編集する作業が行われる。この編集作業には,直接取材活動に携わった者だけでなく,番組制作に関係する多くの者らの意見・視点が反映され,また,取材当時からの時間の経過とともに社会情勢等が変化するにつれ,編集にあたり考慮すべき要素も変化することから,放送番組の内容は,企画・取材活動が行われたときから実際に放送されるまでの間に,常に変化する可能性を持っているというべきである。そして,取材対象者も,取材に応じたときに,取材者から,その取材結果を編集して制作される番組の内容について何らかの説明を受けたとしても,放送される番組の内容等が取材時の説明とは異なるものとなる可能性があることを承知しているのが通常である
 また,放送事業者に対しては,取材によって得られた素材を自由に編集して番組を制作する編集の自由は,取材の自由,報道の自由の帰結として憲法上も尊重されるべき権利であり保障されなければならず,これが放送法3条の趣旨にも沿うところであるから,取材過程を通じて取材対象者が何らかの期待を抱いたとしても,それによって,番組の編集,制作が不当に制限されることがあってはならないというべきである。
 しかしながら,他方,取材対象者が取材に応ずるか否かは,その自由な意思に委ねられており,取材結果がどのように編集され,あるいはどのように番組に使用されるかは,取材に応ずるか否かの意思決定の要因となり得るものであり,特にニュース番組とは異なり,本件のようなドキュメンタリー番組又は教養番組においては,取材対象となった事実がどの範囲でどのように取り上げられるか,取材対象者の意見や活動がどのように反映されるかは取材される者の重大関心事であることから,このような両面を考え合わせると,番組制作者の編集の自由と,取材対象者の自己決定権の関係については,取材の経過等を検討し,取材者と取材対象者の関係を全体的に考慮して,取材者の言動等により取材対象者がそのような期待を抱くのもやむを得ない特段の事情が認められるときは,番組制作者の編集の自由もそれに応じて一定の制約を受け,取材対象者の番組内容に対する期待と信頼が法的に保護されるべきものと評価すべきである。
 そうすると,このような期待と信頼を故意又は過失により侵害する行為は,法的利益の違法な侵害として不法行為となると解するのが相当である。
(48-50ページ)

念のため、原告の請求がすべて認められたわけでないことを申し添えておきます。


ブクマコメントより。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080414/p2

2008年04月15日 rna 取材対象が社会運動と個人の営み(とも言い切れない?)じゃ違うから微妙。後者は期待権というよりは広義のプライバシーに近い話だと思った。

これこそ映画を観てみなければ(そして取材過程についての具体的な情報がなければ)判断しがたい点ですが、例えば刀匠のプライバシーに関わる情報が含まれていたとしても、刀匠の許可を得て撮影されたシーンが、その際説明された撮影意図を大きく逸脱しない範囲で用いられているのなら、制作者の編集権の濫用とはならないでしょう。
また日本刀鍛錬会は当時の陸軍大臣荒木貞夫陸軍省軍務局長山岡重厚によって設立を計画されたもので、1934年に将校の軍刀がサーベル式のものから日本刀に変わった(陸軍服制改正)のも荒木陸相・山岡軍務局長時代のことです。荒木と言えば「皇軍」という表現を一般化させた軍人として知られており、靖国刀は1930年代以降の日本軍のありかたと密接に結びついたものだと考えることができます*2。こう考えると、靖国神社の刀匠の活動をVAWW-NETとの対比で「個人の営み」としてしまうことには、ご自身でも「?」をつけておられるように、やや無理があるのではないでしょうか。


追記:ブクマコメントより
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080414/p2

2008年04月15日 plummet .(-@∀@) 「「取り急ぎ」でエントリ起こすような内容でもない気が。逆にそうすることによって、自らの立ち位置を宣言している。一般オーディエンスに向けてはそれでいいが、対立軸線上の相手は、そこをあげつらう。

「取り急ぎ」に値する内容かどうかについては読者の評価を待ちますが、現に「期待権」という言葉が一人歩きして随分と単純化された主張がなされてるでしょ? 「期待権」と言っても、取材対象者には番組内容についてどんなことでも「期待」できその期待は満足させられねばならぬ、なんて内容の判決じゃないですから。左右を問わず、首尾一貫性を尊重する人が先走ってしなくてよい妥協をしないように、という趣旨ですよ。
本当ならば、この件についてはArisanさんの一連の考察(このエントリを中心とした)の問題提起にきちんと答えるかたちで書こうと思ってたのですが。十分な交渉力を持つエージェントである靖国神社はともかくとして、90歳になる高齢者を取材対象とする場合には(パターナリズムに陥る危険性を考えてもなお)取材趣旨の説明にあたって通常以上の注意が払われるべきで、贔屓のひきたおしでその点についての検証を怠るのはよくない、と。
なお、「逆にそうすることによって、自らの立ち位置を宣言している」っていいますが、私は別に自分の「立ち位置」を隠したことないですから。どちらかと言えば「一般オーディエンス」への配慮が足りないと非難されることの方が多いので、「一般オーディエンスに向けてはそれでいい」ならそれでいい、のでは? 「対立軸線上の相手は、そこをあげつらう」というのは心配していただいているということなのかな? まあしかし、どうしようもない誤読を続けつつ「戦争責任概念を説明してくれ」と言うしか能がない「対立軸線上の相手」に比べれば、きちんとあげつらってくれるのならそれはそれで歓迎しますよ。

*1:平成16(ネ)2039 損害賠償請求控訴事件 東京高等裁判所 第17民事部

*2:吉田裕、『日本の軍隊』、岩波新書、182ページ〜などを参照。