今夏の民放の番組より

この夏に当ブログで言及したテレビ番組の大半が NHK の制作・放送になるもので、やはり視聴率を期待できない題材のドキュメンタリーは民放ではごくわずかしかありません。その少ない番組の中で特に印象に残ったのは日テレ系 NNNドキュメント'11枠で8月7日深夜(8日)に放送された「1819枚のいのち」と、関西では13日深夜(14日)にテレビ朝日テレメンタリー2011枠で放送された「あの日、原子野を飛んだ〜元特攻隊員の遺言〜」の2本、です。
前者は、石川県遺族連合会が企画した戦没者の遺影・遺品の展示会に、亡き夫の遺影を提供した(元)妻たち−−平均年齢は90歳を超える、とのことです−−や遺児たちを取材したものです。「1819枚の命」というタイトルはこの展示会に提供された写真の枚数にちなんでいます。戦没者の「数」には還元できない遺族の思いを伝えるよい番組であったと思います。と同時に、やはり今夏おきた「まんべくん」騒動のことが頭をよぎります。政府の公式見解にも近代史学の通説にも抵触しない内容のつぶやきがクレームを集めるこの社会は、日本軍によって殺された人々にもそれぞれ名前があり顔があり、戦後を生きた遺族がいるという事実をどれだけまじめに考えてきただろうか、と。
後者は大村基地所属の元特攻隊員をとりあげたもので、8月9日の夜(原爆投下の約10時間後)に長崎上空を訓練飛行した、という体験の持ち主です。1999年、その日「原子野」を飛びその時点で生存していた12人が被曝手帳を申請しましたが全て却下されたとのことです。「被害者」の線引きが役所のもうけるハードルによって左右されることは他の戦争被害にも通じうる問題でしょう。また、南京事件に言及する際には「犠牲者数については諸説ある」と言わずにおれない人々がいて、そうした人は暗黙のうちに「犠牲者数ははっきりしているのが当たり前」という前提を持ち込んでいるわけですが、日本の代表的な戦争被害である原爆についてさえ、その「被害者」の数は一意に決まっているわけではないことを示す事例でもあります。また、一般的なケースのみを想定した被曝認定基準を振り回すことによって見落とされる被曝があるかもしれない、という点は福島第一原発の事故を考える時にも示唆に富んでいると言えそうです。