野田新首相は自らの主張に従うか?
今年の8月15日には「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」という主張を維持していると発言していた野田新首相は、代表選勝利後の記者会見では「私は政府の立場なので(政府の)答弁書を踏まえて対応したい」と語った、とされています(時事の記事)。これは予想された対応です。吉田裕は1950年代の日本で、戦争責任問題に関する「ダブルスタンダード」が成立したと指摘しています。
(……)対外的には講和条約の第一一条で東京裁判の判決を受諾するという形で必要最小限度の戦争責任を認めることによってアメリカの同盟者としての地位を獲得する、しかし、国内においては戦争責任の問題を事実上、否定する、あるいは不問に付す、というように、対外的な姿勢と国内的な取り扱いを意識的にせよ無意識的にせよ、使い分けるような問題の処理の仕方がそれである。
(『日本人の戦争観』、岩波現代文庫、91ページ)
冷戦の終結に代表されるような国際環境の変化によってこのダブルスタンダードは軋みを生じているわけですが(その典型が米下院「慰安婦」決議の際の安倍晋三の醜態)、日本の保守派、右派はいまだにこれに代わる選択肢を見いだしていないようです。そして対外的/国内という使い分けは個々の政治家にとっては閣僚/議員という立場に対応しているので、首相になることが事実上決定した時点で「(政府の)答弁書を踏まえて対応したい」となるわけです。首相を辞めればまた以前と同じように「戦争犯罪人ではない」と言い出すことでしょう。
それにしても、それまで歴史修正主義的な発言をしていた議員が新首相になるに際して、誰が、どのようにしてこの問題に関する対応を言い含めているのでしょうかね。
ところで2005年に提出した「「戦犯」に対する認識と内閣総理大臣の靖国神社参拝に関する質問主意書」のなかで野田佳彦は次のように主張しています(強調は引用者)。
十月十七日、小泉総理は靖国神社の社頭参拝を行ったが、これに対して各方面から批判が上がっている。
内閣総理大臣の靖国神社参拝に反対する理由として挙げられるのが、「A級戦犯」という戦争犯罪人が合祀されている靖国神社に内閣総理大臣が参拝することは、日本が軍国主義を美化するあらわれとなる、という論理である。中国ならびに韓国からも同様の理由で、内閣総理大臣の靖国神社参拝に関して反対が表明されている。
小泉総理は、今年六月二日の予算委員会において、参拝の理由を「軍国主義を美化するものではないし、日本が軍事大国になるために行っているのではない。この平和のありがたさをかみしめよう、二度と国民を戦場に駆り立てるようなことはしてはいけない、そういう気持ちを込めて」と述べると同時に、靖国神社に合祀されている「A級戦犯」を「戦争犯罪人であるという認識をしている」と述べている。
小泉総理が「A級戦犯」を戦争犯罪人と認めるかぎり、総理の靖国神社参拝の目的が平和の希求であったとしても、戦争犯罪人が合祀されている靖国神社への参拝自体を軍国主義の美化とみなす論理を反駁はできない。
小泉的な“死ねばみな仏”という逃げ道を自ら断っているところが興味深いです。おそらく、海外からの靖国参拝批判への反発を梃子にして「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」という主張を通そうという目論見なのでしょう。
では、新首相が踏襲すると語った「答弁書」はこの点についてどのような認識を示しているのでしょうか。主要な点について質問と答弁とを並べてみます。
一 「戦犯」の名誉回復について
(中略)
2 昭和二十七年五月一日、木村篤太郎法務総裁から戦犯の国内法上の解釈について変更が通達された。これによって戦犯拘禁中の死者はすべて「公務死」として、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」として取り扱われることとなった。さらに「戦傷病者戦没者遺族等援護法」の一部が改正され、戦犯としての拘留逮捕者を「被拘禁者」として扱い、当該拘禁中に死亡した場合はその遺族に扶助料を支給することとなった。これら解釈の変更ならびに法律改正は、国内法上は「戦犯」は存在しないと政府も国会も認識したからであると解釈できるが、現在の政府の見解はどうか。
一の2について
平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律(昭和二十七年法律第百三号)に基づき、平和条約第十一条による極東国際軍事裁判所及びその他の連合国戦争犯罪法廷が刑を科した者について、その刑の執行が巣鴨刑務所において行われるとともに、当該刑を科せられた者に対する赦免、刑の軽減及び仮出所が行われていた事実はあるが、その刑は、我が国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない。
「その刑は、我が国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない」という一節がなにやら重大なことを述べているかのように言い立てる人間もいますが(例えば佐藤優)、戦時国際法も不戦条約も東京裁判他の裁判所憲章もみな「国内法」ではないのですから、戦犯の処罰が「我が国の国内法に基づいて」行なわれたものでないことはもとより自明のことです。そして質問と答弁とを照らし合わせてみると、政府答弁は質問中の「これら解釈の変更ならびに法律改正は、国内法上は「戦犯」は存在しないと政府も国会も認識したからであると解釈できるが」についてはスルーしていることがわかります。もう一点。
3 昭和二十七年六月九日、参議院本会議において「戦犯在所者の釈放等に関する決議」、同年十二月九日、衆議院本会議において「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」がなされ、昭和二十八年八月三日、衆議院本会議においては「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が全会一致で可決され、昭和三十年には「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」がなされた。サンフランシスコ講和条約第十一条の手続きに基づき、関係十一カ国の同意のもと、「A級戦犯」は昭和三十一年に、「BC級戦犯」は昭和三十三年までに赦免され釈放された。刑罰が終了した時点で受刑者の罪は消滅するというのが近代法の理念である。赦免・釈放をもって「戦犯」の名誉は国際的にも回復されたとみなされるが、政府の見解はどうか。
(中略)
5 「A級戦犯」として受刑し、刑期途中で赦免・釈放された重光葵、賀屋興宣らの名誉が回復されているとすれば、同じ「A級戦犯」として死刑判決を受け絞首刑となった東條英機以下七名、終身刑ならびに禁固刑とされ服役中に獄中で死亡した五名、判決前に病のため病院にて死亡した二名もまた名誉を回復しているはずである。仮に重光葵らの名誉は回復されており、東條英機以下の名誉は回復されていないと政府が判断するならば、その理由はいかなるものか。
(後略)
一の3から5までについて
お尋ねの「名誉」及び「回復」の内容が必ずしも明らかではなく、一概にお答えすることは困難である。
お尋ねの重光葵氏は、平和条約発効以前である昭和二十五年三月七日、連合国最高司令官総司令部によって恩典として設けられた仮出所制度により、同年十一月二十一日に仮出所した。この仮出所制度については、日本において服役するすべての戦争犯罪人を対象として、拘置所におけるすべての規則を忠実に遵守しつつ一定の期間以上服役した戦争犯罪人に付与されていたものである。
また、お尋ねの賀屋興宜氏は、平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律により、昭和三十年九月十七日、仮出所し、昭和三十三年四月七日、刑の軽減の処分を受けた。この法律に基づく仮出所制度については、平和条約第十一条による極東国際軍事裁判所及びその他の連合国戦争犯罪法廷が科した刑の執行を受けている者を対象として、刑務所の規則を遵守しつつ一定の期間以上服役した者に実施していたものであり、また、この法律に基づく刑の軽減については、刑の執行からの解放を意味するものである。
お尋ねの死刑判決を受け絞首刑となった七名、終身禁錮刑及び有期禁錮刑とされ服役中に死亡した五名並びに判決前に病没した二名については、右のいずれの制度の手続もとられていない。
(後略)
この政府答弁もまた質問に正面から答えることを避けているわけですが、「赦免」等の措置が「名誉回復」を意味するという主張に積極的にはコミットしていないことは明白です。さらに「死刑判決を受け絞首刑となった七名、終身禁錮刑及び有期禁錮刑とされ服役中に死亡した五名並びに判決前に病没した二名については、右のいずれの制度の手続もとられていない」という一節は、仮に赦免等の措置が「名誉回復」を意味するという主張を採用したとしても、この14名についてはその論法が使えないことを意味しています。
どちらの論点についても、政府は「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」とは認めないことによって「対外的」な配慮をし、同時に「A級戦犯は戦争犯罪人である」とも直接には述べないことによって「国内的」な配慮をするという、まさに「ダブルスタンダード」を地でゆく対応をしています。こうした対応は、直接的には質問者があえてそれ以上追究しないことによって可能になっています。しかし仮に「国内法によって戦犯とされたわけじゃないのは当然のことであって、だからといって戦争犯罪人ではないということになるのか?」「“名誉回復”とは“戦争犯罪人であったという事実それ自体がなかったことになること”を意味するとして、元戦犯たちは名誉回復されているのか?」と追究していった場合に、政府が右派の意に沿うような答弁を行なえるとは思えません。というのも、この答弁書においても「我が国は、平和条約第十一条により、同裁判を受諾しており、国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない」「我が国としては、平和条約第十一条により、極東国際軍事裁判所の裁判を受諾している」「我が国は、極東国際軍事裁判所等の裁判を受諾しており、国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない」と3度にわたって述べられているように、戦犯裁判の結果は戦後日本の国際的な地位の基盤になっているからです。一説によると自民党は新首相の歴史認識を追究する気でいるとか。もし上記質問主意書・答弁書のようなナアナアのやり取りに終わるとすれば政府はまたしてもダブルスタンダードに従った対応をするでしょう。しかしもし自民の右派議員が突っ走ってとことん議論を煮詰めようとすればそういう手は使えなくなります。そして新首相の持論によれば、A級戦犯が戦争犯罪人であれば「靖国神社への参拝自体を軍国主義の美化とみなす論理を反駁はできない」のです。