12月の戦争関連番組(その2)

続いて実際に見た番組について。

-読売テレビ 2019年12月8日(日) 25:05 NNN ドキュメント '19「つぐない BC級戦犯の遺言」

今年は日本軍の加害をテーマにした番組がほとんどありませんでしたが、この番組もまたBC級戦犯の“受難”、特に死刑になった戦犯とアメリカの方針転換により減刑された戦犯との対照的な運命が主題となっていました。殺された捕虜や裁いた側の視点からBC級戦犯裁判をとりあげた番組って、ほんとうにつくられませんね。

さて命拾いした戦犯の例としてとりあげられていたのが、西部軍事件の冬至大尉です(写真は番組に登場した遺族)。

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西部軍事件は『法廷の星条旗』でも検討の対象とされていましたが、同書を出した横浜弁護士会BC級戦犯横浜裁判調査研究特別委員会の委員長だった間部弁護士も同事件の死刑判決の減刑についてコメントしていました。

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-読売テレビ 2019年12月8日(日) 25:05 NNN ドキュメント '19「バヤルタイ〜モンゴル抑留72年越しのさようなら〜」

シベリア抑留に比べてはるかに知られることの少ないモンゴル抑留の生存者に取材したという点で興味深いものでしたが、最近『週刊ポスト』に掲載された記事をめぐる騒動との関連でなかなか興味深いシーンがありました。

元徴用工の「日本人にはとても親切にされた思い出があります」といった“証言”をウリにしたこの記事について、韓国の MBC テレビが「証言を歪曲している」と批判する番組を放送した、というのです。

徴用工問題に関して『週刊ポスト』が信頼に耐える記事を掲載するかどうか大いに疑問ではありますが、いまは MBC の批判の当否については保留しておきます。ここでは、社会主義政権崩壊後に「マンホール・チルドレン」が急増したモンゴルで一時期孤児院を運営していた元抑留者の証言をとりあげたいと思います。

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抑留の被害者(この男性は抑留中に両足を失っています)がなぜモンゴルで孤児の支援を? と問われたのに対して答えている場面ですが、1枚目の証言と3枚目の証言を抜き出せば、まるで逆のことを言っているように思えます。

この元抑留者にしても元徴用工の男性にしても、非常に複雑な思いを胸に秘めているであろうことは想像に難くありません。しかしふつうの人間はマスメディアの取材をうけることなどなく人生をすごすわけで、そうした複雑な思いをカメラの前で理路整然としゃべる訓練など受けていないわけです。聞き手がどのような質問をするかによっても話し方は変わってくるでしょう。“証言の矛盾”なるものの多くはこれと同じようなケースなのではないでしょうか。

恨みは恨みとして、圧倒的な貧困を自分の目で見てしまった以上なにかをせずにはいられない……というのは、誰にでもできることではない一方で、そう特殊な心理というわけでもないでしょう。この男性は河村たかしのような“恩を仇で返す”論法に対するなによりの反証になっているということができます。

-NHK Eテレ 2019年12月14日(土) 午後11:00~ ETV特集「ある特攻隊員の死~祖母とたどる兄の最期~」

“兄は8月15日に特攻死した”と母から聞かされていた祖母。孫にあたるNHKのディレクターが大叔父の取材をはじめる……。また“特攻隊員の悲劇もの”ですか、という気持ちで見始めたのですが、実は大叔父は1945年の4月、菊水作戦開始の初日に出撃して戦死していたという事実が明らかになります。4月6日と戦死日が記載された戦死公報も実家から発見(ただし戦死公報が届いたのは46年3月)。祖母の母はすでに故人であるので、なぜよりにもよって“終戦後に出撃して戦死した”という物語を娘に話したのかは謎のままおわるのですが、戦没者遺族が家族の死をどう受容したのかについて、考えさせられる内容でした。