「黒い雨」の範囲に関して新説

上のエントリでとりあげた件は「新事実発見、という主張に安易に飛びつくこと」の危険を教えてくれていますが、他方で「よくわかっていて当たり前、と思われていることが以外によくわかっていない」ことの実例になるかもしれない研究報告も報じられています。

 大滝教授によると、広島市などが実施した当時の住民ら約3万7000人を対象とした調査で、約1800人が黒い雨に遭った場所や時間を特定できた。このうち、「1時間以上、黒い雨が降った」とされる地域は、国が援護の対象としている地域よりも東西にそれぞれ約10キロ、北に約15キロ広かった。


 研究結果では、黒い雨は原爆投下45分後の1945年8月6日午前9時頃、現在の広島市西区で降り始め、午前10時頃に最大範囲となり、午後3時頃に現在の安芸太田町で降りやんだと推定。大滝教授は「今後、黒い雨を含む放射性降下物全体の量などが明らかになれば、国が指定する降雨地域を見直す必要性が出てくるのでは」としている。

記事の後半では、広島市立大学の馬場雅志講師らが米軍の撮影した写真を解析した結果、キノコ雲の高さが従来の推定の倍であったとする説を発表した、ともされています。今朝の朝日新聞朝刊ではこちらの発表だけが単独で報じられていますが、黒い雨はキノコ雲の中で生まれ、かつ雲の大きさが雨の降る範囲に影響するため、「大雨地域を広げられる可能性がある」という馬場講師のコメントが引用されています。
この日の研究会では、さらに次のような発表もあったようです。

 原爆投下直後の広島に降った「黒い雨」による推定被ばく線量は最大46ミリグレイだったと、ブルナシヤン・ロシア連邦医学物理センターの研究グループが広島大原爆放射線医科学研究所(原医研、広島市)で3日開かれた研究会で発表した。


 土壌データの解析などから最大50ミリグレイだったとした、京都大など日本側の研究グループの推計値とほぼ一致。日本側メンバーの星正治・広島大原医研教授(放射線生物・物理学)は「異なる手法で行った結果が符合し、実態解明への大きな一歩になる」と話している。
(後略)

ロシアグループの研究は「大雨地域」の範囲については従来の国の主張を前提としているので、大滝教授や馬場講師の発表とのつきあわせによって推定値が変化する可能性はあるのかもしれません。
それはさておき、南京事件否定論の一つのトリックとして「犠牲者数ははっきりしていて当たり前、はっきりしないのはおかしい」と印象づけるというものがあります。この点において、「黒い雨」の降雨状況や最大被曝線量といった、原爆投下による被害規模の推定にとって基本的な事柄について、被曝から65年経ってもなお研究の余地がある……という事実は非常に示唆的です。