じゃあ「特段の事情」がない場合は?

高裁判決は次のように述べている(61-62ページ)。強調は引用者。

4 説明義務違反
(1) 一審原告らは,本件番組は女性法廷の主催団体である一審原告バウネットの協力がなければ成り立たないことや,一審原告らは約2か月もの間,一審被告らに対し女性法廷に関する取材について格段の便宜を与えて取材に協力してきたことから,一審原告らと一審被告らとの間には契約類似の関係が生じ,番組内容に変更があった場合にはそれを説明する義務を負うと主張する。
 この点,一審被告NHKが定めた本件ガイドライン(甲95)には,「制作過程で,あらかじめ取材相手に伝えていた目的や内容に変更が生じた場合は,改めて,取材相手に十分説明しなければならない」(第2の2(1)取材態度)「編集の段階で(インタビューを)どうしても放送できない状態となった場合は,放送前に,その旨と理由をインタビュー相手またはその代表者に伝えなければならない」「取材後の状況の変化によって,番組のねらいが変更されることがある。その場合,放送前にインタビュー相手に対し,番組の新たな狙いなどを説明し同意を得ることが必要となる。」(第2の2(3)インタビュー)と定められており,番組のねらいが変更された場合には,取材対象者に対し,一定の説明をする必要があることは明らかである。
 これを取材対象者の側から検討すると,取材対象者が,当初,取材に応ずるか否か,どの程度,範囲で応ずるかは,その自由な意思に委ねられており,取材結果がどのように編集され,あるいはどのような番組に使用されるかは,取材に応ずるか否かやその程度,範囲の意思決定の要因となり得るものである。そこで,取材に協力した後に番組内容に想定外の変更があった場合には,取材対象者は,取材に応じた意思決定についてはいわば錯誤や条件違反があったものとして,当初に立ち返るのに代え,その自己決定権に基づき番組から離脱する自由も有するということができる。他方,番組制作者は,編集の自由を有し,その調整も必要であることから,取材対象者による自己決定権の具体的な行使としては,当初の意思決定の時の説明どおり番組を編集するよう請求することまで認めることはできないと解すべきである。そこで,取材対象者は,番組制作者に対しては,原則として,番組から離脱することや善処方を申し入れることができるに止まり,番組改編の結果,取材対象者の名誉が著しく毀損され,放映されると回復しがたい損害が生ずることとなる等の場合には,差止請求をすることができるものというべきである。このことは,取材対象者が,他の報道機関等に実情を説明し,対抗的な報道を求めることを排除するものでないことはいうまでもない。
 ところで,制作中の番組について,どの程度のねらいの変更が生じた場合に説明を要するかは必ずしも判然としないことも多く,また,放送番組の編集作業は,放送直前まで行われることもあり,事前の説明を行う時間的余裕がない場合がある。そこで,これらの点を考慮すると,放送事業者に対し,方針の変更があった場合につき取材対象者に対する法的な説明義務をすべての場合に課すことは,放送事業者の番組の編集に過度の制約を課すことにつながるおそれがある。この意味で,本件ガイドラインは,取材・制作現場で直面する問題に対処する上でのよりどころとなる考え方や注意点を示したものであって,ジャーナリストとしての倫理向上を目指すものであり,これに定める説明の必要性は,取材の際の倫理的な義務をいうものであると解すべきである。他方,上記説示のとおり,取材対象者の自己決定権も保護すべきであることから,放送番組の制作者や取材者は,番組の内容やその変更等について,これを説明する旨の約束がある等,特段の事情があるときに限り,これを説明する法的な義務を負うと解するのが相当である。
 なお,一審被告らは,このような説明義務を認めると,報道の自由を維持することができないと主張するが,取材対象者が番組から離脱すること等を申し入れた場合においても,裁判所による差止命令のない限り,なお報道機関の責任において報道すべきものと判断すれば報道を行うことまで禁じられないのであり(報道の結果,信頼の侵害を理由として損害を賠償すべきかどうかは別問題である。),特に,本件においては,上記説示のとおり,番組改編の経緯からすれば,一審被告NHKは憲法で尊重され保障された編集の権限を濫用し,又は逸脱して変更を行ったものであって,自主性,独立性を内容とする編集権を自ら放棄したものに等しく,一審原告らに対する説明義務を認めても,一審被告らの報道の自由を侵害したことにはならない。

ここで「番組から離脱」とは、すでに撮影した部分の利用を拒否することではなく、それ以上の取材を拒否することと解すべきであろう。というのも、取材対象者の登場シーンすべての使用を拒否できるのであれば「放映されると回復しがたい損害が生ずる」ような事態は生じないわけで、わざわざ「差止請求をすることができる」と認めることに意味がなくなるからである。
というわけで、許可を得て撮影したのであれば、後になって取材対象者が「自分の意に添わない」と主張したというだけのことで直ちに上映が禁じられたりするわけではない(すでに述べたように、そんなことになれば批判的な視点をもったドキュメンタリーの制作など極めて困難になる)。


高裁判決を読めば読むほど、取材対象者の権利が一般に手厚く護られるべきだとする判決だとは思えなくなってきた。単に、映画(番組)全体の趣旨が当初の説明と違っていたというだけでは、法的保護を受けるべき「期待」が侵害されたとは言えない、というのだから。高裁判決を敷衍すれば、例えばストーリーボードの決定稿を取材に際して見せており、実際その通りに撮影、編集が進んでいたのに、公開の直前になって取材対象者に無断で大幅な再編集があった…といった場合ですよ、「特段の事情」が認められるのは。


むろん、刀匠の意思表示が「政治的圧力」や「空気」によるものではなく自発的なものだと考えるに足る理由があるのなら、つくり手側にはその意思にどう向き合うべきかという倫理的問題が課されることになるのは Arisan さんがすでに指摘された通り。ただ、取材対象者の名誉を毀損するとして公開差し止め請求をしたとして、それが認められるかどうかはかなり疑問。