一周まわってつながって

なんというか、東流「ポストモダン系リベラル」を支持するメンタリティとして、二つの類型が浮かびあがってきたような感じですね。以下は「類型」の記述なので単純化かつ誇張してますが。
一つは「我こそは科学なり」的自意識を持った、ネット理系。偽ソーカル氏もこのタイプだったけど。こういう人にかかると自然科学以外はもう『マッド・マックス2』というか anything goes な世界なので「東、正しいじゃん」と見えてしまう、と。
他方で、こういう偏見をみすみす助長するようなのがいるんですよ。思想屋さんの悪い癖、というか。D_Amonさんが言及しているような面々ですな。自分の得意なフィールドではまともなことを言うひとでも、よく知らない分野に安易に踏み込んでグダグダになってしまう、ってことならよくあるし(最近の顕著な例)、それはまあ人間的なミステイクというやつであるわけですが、無知に居直るというか、妙に事実関係のディテールなんぞ知らないから俺はえらいのだ、と思ってんじゃないの? とみえるようなのがいるわけです。
で、結局のところどちらも社会科学や人文科学における実証研究を貶めることで一致するわけです。もちろん、分野を問わず研究者とか個々の研究の質はピンキリだから、その「キリ」の方ではなく「ピン」の、あるいは平均的な水準をここでは問題にしてるわけですが。でもちょっとまねごと的なことを(まねごとなりに真剣に)してみるだけでも、「ああ、プロがやってんのはもっと大変な作業なんだな」ってことは少し見えてきます。例えば昨日話題にしたはてなキーワードの「中帰連」。これ、自分が言いたいことを書くだけだったら簡単なんですよ。しかしそれを多少なりとも客観的妥当性を持つような記述、左右どっちかにぶっ飛んだ人は別として大方が納得するような、納得しないまでも強い不満を抱かないような、具体的に言えば編集合戦を誘発しないような(笑)記述にしようと思ったら相当な準備がいります。私の準備は極めて限定的だったから、記述もそれにみあって限定的なものにとどめました*1。わたしはそもそも「はてなキーワード」みたいなものについては、誰も参照しようとは思わなくなるようなものになるのが望ましいと考えているので、単に記述の無害化を狙ったということもあります。しかし、仮に事典の一項目として書くよう、比較的潤沢な字数を与えられちゃったりしたら、これはもう大変な作業になる。ということくらいはわかるようになるわけです。
中帰連というたった一つの団体についてすらこうですから(というのはこの団体自体が様々な歴史的経緯を背負っているからなのですが)、南京事件といったスケールの大きな出来事だったり、「1930年代前半の日本の対中政策」だったり、さらには「アジア・太平洋戦争の歴史」だったりするとさらに大変になる。もちろん、すべての事柄についてフルスクラッチで記述してゆくわけじゃなくて、すでに妥当性を認められた歴史記述は参照可能なリソースとなりますからその分手間は軽減されるわけですが。


これまであえて触れないようにしていたんだけど、東のサブカル批評に対するこのような批判があることをご存知の方も少なくないでしょう。これまで触れなかったのはこの批判の妥当性を吟味するだけの知識が私にはないからなのですが、しかし東に対する批判として同じモチーフを含んでいるということははっきりとわかる。ここでの文脈に引きつけて言えば、東はアニメ(ファン)の現状について説得力のある記述を目指す努力を放棄している、ってことなのでしょう。だから、この批判を書かれた motidukisigeru氏がこれを経由してこう書かれるのはよくわかる。疑似科学問題という文脈を強調して東を批判した人が少なくなかったのは決して偶然でも牽強付会でもないわけです。

*1:いまはさらに記述が変わっていますが、それについての評価はここでは述べません。