Another Case

 相異なる戦争の覚え方が出会う機会は、これまでは少なかった。それが、第二次大戦の開戦と終戦から五〇年経った後、それを記念する集会が各国で行われると、それぞれの各国で戦争の記憶がいかに異なるかが浮上する。そしてお互いに歴史の「忘却」や「偽造」を指弾するような、厳しい歴史論争が生まれることになった。
 それまでにも、韓国・北朝鮮からは、日本の植民地支配について、また中国からは中国侵略と南京大虐殺について、責任を認め、謝罪することを求める声があり、日本政府の要人の発言や教科書の記述などが、国際問題を繰り返し招いてきた。花岡事件、つまり中国から強制連行された労働者の蜂起とその後の鎮圧・虐殺につき、鹿島建設に謝罪と補償を求める訴えも起こされていた。終戦五〇周年などを節目として、その問題はさらに深刻になる。海外では、日本における戦争の忘却を許してはならないという声が高まり、日本国内では「自虐史観」の見直しを求める運動が拡大したからである。
 政府声明、国際会議、記念式典、研究や著作、さらに戦争責任を追及する団体の活動や、それに対抗する運動なども生まれた。記憶の内容、あるいは記憶の拒否をめぐって、それぞれの団体や運動が激しい論争を展開した。スミソニアン博物館におけるエノラ・ゲイ展示をめぐる紛争、新しい教科書をつくる会などによる国民史を復活する試み、ダニエル・ゴールドハーゲンの『ヒトラーに従った自発的処刑者たち』(一九九六年)をめぐるホロコースト論争、アイリス・チャンの著作によって再燃した、南京大虐殺をめぐる論争など、記憶の戦いとも呼ぶべき、深刻な論争が相次いで生まれた。
 この論争が生産的なかたちをとることはあり得なかった。論争当事者が、自分の判断については疑いを持たず、相手の判断を基本的に信用しないため、自分の偏見を棚に上げて相手の偏見を暴露するというかたちでしか、この議論は進みようがなかったからである。異なる記憶の出会いが生みだした記憶の戦い、メモリー・ウォーズは、新たな認識を生むよりは、偏見の強化しか招いていない。

これは『戦争を記憶する 広島・ホロコーストと現在』(藤原帰一講談社現代新書)の一節である(31-32頁)。『南京事件論争史 日本人は史実をどう認識してきたか』(笠原十九司平凡社新書)は上記引用箇所のうち最後の段落を引き*1、こう批判している。

こうした「どっちもどっち」「ドロ試合」といった嫌悪感が、日本人のなかに多数の傍観者を形成させ、南京事件歴史認識の定着を妨げている大きな要因になっている。それこそ南京事件の事実を日本人に記憶させまいとする人たちや勢力の思う壷にはまっている。
(17-18頁)

こうした反論もまた藤原氏には「論争当事者が、自分の判断については疑いを持たず、相手の判断を基本的に信用しない」ことの一例として回収されてしまうのだろうか。
さて、もともと歴史学とは縁もゆかりもない私がこんなブログを運営するようになった理由の一つは、南京事件否定論その他に対してただ「歴史の歪曲だ」「偏狭なナショナリズムだ」と非難の言葉を投げかけるだけではダメで、否定論の議論それ自体に踏み込んで批判してゆく必要があると考えたからだ*2。だからここでは極力具体的な誰かの発言を問題にするようにしているし、類型としての否定論を語る際にも常にその実例を(要求されれば)提示できるかどうかに気を配るようにしている。では「この論争が生産的なかたちをとることはあり得なかった」と断言するまでに、藤原氏はいったいどのレベルまで「論争当事者」たちの議論をフォローしたのだろうか。先日来問題にされている東浩紀氏の発言や上の藤原氏の発言にせよ、ネットでおなじみの「どっちもどっち」論にせよ、具体的な論者の具体的な議論を題材として具体的にどこがどう「自分の判断については疑いを持たず、相手の判断を基本的に信用しない」と評されるべきなのか、どこを指して「自分の偏見を棚に上げて相手の偏見を暴露するというかたちでしか」ないと評しうるのかが明らかにされていたためしがない。藤原氏もまた、南京事件否定論は1970年代の前半から、すなわち否定論が国際問題となる以前から、同じメディア、同じ人脈によって主張され続けてきた(そしてこの社会はそれを許してきた)という歴然とした事実を無視している。また本書には南京大虐殺シンガポールでの華僑虐殺を比較して、「南京大虐殺とは異なり、虐殺が起こったことは日本政府も認めており、戦争記念公園に立つ虐殺の慰霊塔の建設には日本も協力した」という記述がある(181頁)。しかしこの本が刊行された2001年の段階では既に、家永教科書裁判等の結果として、歴史教科書に南京事件を記述することが定着していた(もちろん文部省が検定で通した記述がすなわち政府の公式見解ということではないが)。外務省のホームページに「歴史問題Q&A」の一項として「日本軍の南京入城(1937年)後、多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています」という認識が示されたのは本書刊行後の2005年のことだが、日本政府が公式見解として南京における虐殺の存在を否定したことはない(犠牲者数推定に大きな幅があるのは、シンガポールでの華僑虐殺も同様)。永野茂門法相が「南京大虐殺はでっち上げ」と発言して罷免されたのは1993年のことである。
第二に、『戦争を記憶する』のテーマの一つは「記憶の政治性」(37頁)であるはずだ。このようなテーマを設定しているにもかかわらず、論争の“非生産性”をただ「論争当事者」の態度にのみ帰着させるのは、問題の脱政治化ではないのか? 70年代以降の南京事件論争を、あるいはそれ以前の沈黙をとりまく「政治」こそが問題にされるべきではないのか?
こうしてみると、藤原発言と東発言に一定の共通点があることは明白だろう。

*1:もう一冊引用されているのは、『日本人はなぜ多重人格なのか』(中山治、洋泉社)。

*2:以前にも述べたように、疑似科学歴史修正主義に対しては戦略的に無視することを主張する見解もあるが、日本ではそうした戦略が成功する地盤がない、というのが私の判断。