「放置される精神病んだ被爆者」

毎日新聞 2008年12月9日 「記者の目:放置される精神病んだ被爆者
まいまいクラブ」にも同じ記事が転載されている。

 太平洋戦争開戦から8日で67年が経過したが、いまだに戦争による心の傷に苦しみ続ける人たちがいる。厚生労働省は10月、旧軍人・軍属で、戦地での体験などから精神障害を患い、現在も治療中の人が07年度末現在で全国に77人(うち入院者は42人)いると明らかにした。しかし、この数は戦争で精神を患った人の一部を示すに過ぎない。精神科病院に長期入院する原爆の被爆者らを取材し、今なおやむことのないうめきを聞いた。戦争の実相を知るため、戦争と精神障害の関係は十分に研究されるべきだが、患者らは放置されたまま次々と亡くなっており、問題は歴史の闇にうずもれようとしている。
(中略)
 旧軍人・軍属の戦傷病者は戦傷病者特別援護法に基づき、一定程度以上の障害や療養の必要がある場合、戦傷病者手帳が交付されて医療給付などの援護を受けられる。国はこの医療給付受給者(07年度末で983人)のうちの精神障害者数は把握している。しかし、恩給法に基づく傷病恩給受給者(同22万9682人)や、戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づく障害年金受給者(同2339人)では傷病別の人数は把握しておらず、どれだけの人が精神を病んだのかはわからない


 「ヒバクシャの心の傷を追って」の著書がある精神科医の中沢正夫さん(71)によると、第一次世界大戦で兵士に精神的破綻(はたん)者が続出し、「戦争神経症」「戦闘疲弊症」として一定の把握はなされたという。ベトナム戦争帰還兵に同様の後遺症が多発したため、米国ではPTSD(心的外傷後ストレス障害)の概念も生まれた。しかし、日本で心の傷が広く注目されたのは阪神大震災が契機とされ、戦争体験者が対象の研究は長年放置されてきたといえる


 なかでも被爆者ら民間人の精神的被害となると、長崎の一部地域を除いて把握すらされなかった広島市は今年度から、ようやく原爆による精神的影響の調査に乗り出した。今夏の平和宣言で、広島市秋葉忠利市長は「被爆者の心身を今なお苛(さいな)む原爆の影響は永年にわたり過小評価され」てきたと語った。原爆だけでなく、各地で空襲を受けるなどした民間人の被害も同様に放置されてきたと言える。
(後略)

強調は引用者。
すでに20年以上前に、放置された精神障害兵士の問題を世に訴える試みはあった。
この問題は当ブログでも時おりとりあげている、旧軍将兵の「罪責感」の問題にも通じている。旧日本軍将兵、軍属が自らの戦争犯罪に対する罪責感を抱えているケースは稀である、という認識が定着するうえで野田正彰氏の『戦争と罪責』(岩波書店、1998年)が果たした役割は小さくないだろう。だが・・・。

 八千件のカルテ〔=国立国府台病院に残されていた、国府陸軍病院の病床日誌〕のうち、頭部外傷や疑問の余地のない精神分裂病〔ママ〕などを除き、神経症圏(神経衰弱、ヒステリーなど)と心因反応と診断されたものは約二千件あった。国粋主義の時代の陸軍病院のカルテ、外国語は一切使われず、縦書きで書かれている。二〇〇〇のカルテのうち、虐殺の罪におびえる記述が残されているものは何件か。
 わずか二件だった。NHKの大森淳郎ディレクターが丹念に二千件の病床日誌を読み、二件のカルテを取り出して、私のところに持ってきた。
(340-341ページ)

普通に読めば、野田氏が読んだカルテはディレクターがふるいにかけた2件に過ぎない。かのディレクター氏が「丹念に」読んだであろうことを疑うつもりはないが、戦争神経症に理解の薄い旧陸軍軍医たちが書いたカルテを読み解くのは、専門家であっても簡単なことではないはずだ。現に、別の専門家は違った結論を出している。清水寛編著の『日本帝国陸軍と精神障害兵士』(不二出版)。

ところが本書によれば、調査対象とした374人中「罪責感」に関わる症状をあらわしている患者が31人、8つの分類中第4位にあがっているというのである。

記事が指摘する通り、「今となっては、調査に乗り出しても全容解明は難しい。患者や関係者が次々と死亡しているからだ」。とはいえ、出来ることがないわけではない。安直な「心理学化」の弊をいかにして避けるかという問題もあるが、それはまた改めて。