被害の多層性

毎日新聞 2008年12月26日 「記者の目:母国語読めぬ「半面美人」の人生」(「まいまいクラブ」版はこちら

 ◇忘れるな、重慶爆撃の悲惨−−不幸な過去、向き合う努力を
 ここ数年、戦時中の忘れられた爆撃ともいえる中国の重慶爆撃を追っている。重慶爆撃をご存じの方はどの程度いるのだろうか。東京大空襲、広島、長崎への原爆投下は米軍による無差別爆撃として知られるが、重慶爆撃は日本軍による重慶市を中心にした一連の無差別爆撃、多くの非戦闘員が死傷した爆撃だった。現在、重慶爆撃をめぐる戦後補償裁判「重慶大爆撃訴訟」が法廷で争われている。日本の被害者同様に、中国人被害者も無差別爆撃で深い傷を負って戦後を生きてきた。その声を現地から届けたい。歴史健忘症は将来に禍根を残すと考えるからである。
(中略)
 趙茂蓉さん(79)=重慶市磁器口=が爆撃を受けたのは41年8月。6人家族で趙さんは当時12歳。家は貧しく、趙さんは地元の紡績工場で働いていて爆撃を受けた。爆弾の破片の一部が右ほおに突き刺さり、あごの骨まで砕ける重傷だった。爆撃で自宅は全焼。家族はバラバラになった。趙さんは爆撃時のショックで左耳が聞こえなくなった。しかし、趙さんを苦しめたのは爆撃以後の人生だった。


 「元の職場に復帰しましたが、顔の右半分に大きな傷があるため、同僚から『半面美人』とからかわれるのがつらかった。日本軍の爆撃にはいまでも激しい怒りを覚えます」


 爆撃は一家の貧困にさらに拍車をかけ、趙さんの就学の機会をも奪った。趙さんはいまでも中国語の読み書きができない。
(後略)

ここでは趙さんの怒りは「日本軍の爆撃」に向けられているが、もちろんのこと彼女を苦しめたのは「日本軍の爆撃」だけではない。旧日本軍の遺棄化学兵器で被害を受けた少女が同じような苦しみを語っているのを読んだことがある。日本の戦争被害者の中にも同じような経験をした人は少なからずいただろうし、従軍「慰安婦」問題にもこれに通じる側面がある。「08憲章=中華連邦共和国憲法要綱」は直接的にはこうした問題に触れているわけではないが、「人権の尊重と保障」が「紙の上」にとどまるかどうかと密接に関わる問題ではある。「08憲章」には中国の過去と現在への厳しい批判の言葉が並ぶが、それをもって署名者たちを“自虐的な反中中国人”呼ばわりするのはもちろんナンセンスである。


この記事を読んで『他人の顔』に登場する架空の映画《愛の片側》を思い起こしたのだが、当該箇所を読み直してみたら「妹」がボランティアをしているのは「旧陸軍の精神病院」だった。

患者たちは、敗戦の事実も知らず、二十年前に停止してしまったままの時間のよどみの中で、忠実に過去を生きつづけているのだった。
(『安部公房全作品』第6巻、新潮社、325頁)

1つ目のエントリを書いた後で気づいたので、思わぬ符合に驚いた。この一節が書かれてからさらに40年以上が経過したのである。