書評:『戦時グラフ雑誌の宣伝戦』

4月5日付けの朝日新聞に、「進歩的文化人保阪正康氏による『戦時グラフ雑誌の宣伝戦 十五年戦争下の「日本」イメージ』(井上祐子、青弓社)の書評が載っています。

 大日本帝国は、満州事変から続く一連の戦争を「聖戦」と称した以上、それを視覚化して国際社会に訴えなければならない。どういう「国家宣伝技術者」たちが、どのような媒体でいかなる方法で訴えたのか。本書はそれを丹念に検証した。
(…)
 「十五年戦争期の日本では、受け手側の受容の構造を考慮することなく、宣伝者側の主張や価値観を一方的に発信することを宣伝と考える傾向があった」と著者もいう。ありていにいえば、宣伝の意味がわかっていなかったということだろう。

今日でも「受け手側の受容の構造を考慮することなく、宣伝者側の主張や価値観を一方的に発信すること」を「情報戦」と称する人々がいることは、例の "The Facts" 広告などが示している通りですね。

 (…)日中戦争下で「LIFE」に掲載された日本軍の爆撃を伝える「上海南駅の赤ん坊」の写真は世界の1億3600万人もの人びとが見て、反日感情を高めたという。これに対して日本側のグラフ誌も、これはデッチあげとの反論記事や写真を掲載する。が、根拠を示すことができずにアメリカのイエロージャーナリズム批判に終始するだけであった。

実は同じことは現在まで続いているんですね。pippoさんのサイトに詳しい検証記事があります。
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/143photos/station/station.htm

 日本のグラフ誌は情報局の規制もあって、つまりは主観を客観化するのに必死だったといえる。英米ではとにかく宣伝の主要な骨格は「事実」に根ざしている点にあり、それを表現に転化していく技術があった。つまり正確に報道すること。それが図らずも宣伝になっていったというのである。

このあたりは昨日のエントリで問題にした、南京事件否定派の「プロパガンダ」観を念頭におくと興味深いところです。
なお、日本の宣伝の問題については一ノ瀬俊也の『戦場に舞ったビラ 伝単で読み直す太平洋戦争』(講談社選書メチエ)について書いたこちらのエントリもご参照下さい。