原爆投下に対する米国市民の認識

昨日3日の朝日新聞(大阪本社)朝刊に、米国市民の原爆に関する認識を伝える記事が二つ掲載されている。一つは「核なき世界へ」という連載の第3回、「オバマ被爆者」。見出しは「米、根強い「投下は正当」」。

 「被爆者のスピーチが学校の信頼をおとしめた」
 米モンタナ州・ボーズマン。世界遺産イエローストーン国立公園の玄関口にあたる人口3万人の町で、地元紙にそのコラムが載ったのは昨年9月だった。筆者は60代の女性コラムニスト。批判の矛先は、カリフォルニア州在住の被爆者、笹森恵子(しげこ)さん(77)を招いて地元小学校が開いた特別授業に向けられていた。
 コラムニストは笹森さんが旧日本軍の真珠湾攻撃に言及しなかったことを指摘し、「もしトルーマン大統領の勇気(原爆投下)がなければ、何十万もの罪なき人たちが死んでいた」「核兵器を持たないことで平和を保てると主張する人たちの無知に危機感を覚える」と書いた。
 学校は「二度と同じ講演を開かない」と記した手紙を保護者に出した。

強調は引用者、記事中のルビは( )内に記した。
核廃絶派の「無知」を指摘するこのコラムニストが、降伏に関する日本の意思決定プロセスについていったいどれだけのことを知っているのか、聞いてみたいものです。また強調箇所は日本のネット*1でもよく見かけるものです。平和教育に対する圧力という点では、日本でもこんなことが現在進行形で起きています。
記事は次のように結ばれています。

 原爆投下で日本の降伏が早まり、米日双方で多くの人命が救われた−−これが米政府の見解で、世論の多数派だ。核廃絶に向け、オバマ大統領が越えなくてはならないハードルは高い。
 7月半ば、ワシントン郊外のスミソニアン航空宇宙博物館別館。広島に原爆を投下したB29爆撃機エノラ・ゲイ」の機体を世に、親子連れらが次々と記念写真をとっていた。原爆投下について聞くと12人中9人が「正しかった」と答えた。
 オバマ大統領はプラハで、核なき世界は「すぐには到達できない」とし、自分が生きている間には難しいと語った。他国が核を持つ限り核抑止力を手放さない、とも。それでも国内の保守派から「ナイーブ」といった批判を受け続けている。

「すぐには到達できない」「他国が核を持つ限り核抑止力を手放さない」という条件付きでの核廃絶提案すら「ナイーブ」と批判する人びとは現実主義的であることを自称するのでしょうが、現実主義的であることと現実に屈従することとは異なります。


もう1つは「原爆「懺悔の旅」」と題する記事。

(・・・)
 ワシントン州タコマ市一帯に住む15歳の女子高校生から81歳の男性まで計17人は、7月末に米国を出発。東京、岩国、広島、長崎を2週間かけて巡る。
 呼びかけ人のひとり、トム・カーリンさん(73)は元米海軍の下士官で、1950年代後半、米軍厚木基地に勤務した。長崎市で見た被爆展示に衝撃を受け、米国に戻ると反戦活動をはじめた。(・・・)地元の小中学生らに呼びかけて4千羽の折り鶴を用意。「原爆投下を謝罪します」という署名も約500人から集めた。
 ところが、7月に入って地元メディアに取り上げられると、批判が起こった。「米国が日本に謝罪することは、日本軍に殺された米兵や米市民には侮辱になる」。そんな投書が地元紙に掲載された。批判の先頭に立ったジョー・ゼラズニーさん(88)は元米軍中佐。取材に「原爆はあの戦争を早く終わらせるために欠かせなかった。戦場を知らない一般市民が、今になってなんの必要があって日本に謝罪するのか納得できない」と語った。「正直なところこれほどの批判を浴びるとは思っていなかった」とカーリンさん。同行者間で議論した末、謝罪は控えることで意見がまとまったという。

なにやら「英霊を穢すな」という主張と共鳴するかのような批判です。国境の向こう側で語られていることの主語と目的語を入れ替えれば国境のこちら側で語られていることとそっくりであるわけですが、両者は同じロジックに基づいているが故に対立しあうことになります。国境をこえた連帯が可能なのは、自国の過ちを直視しようとする者の側なのです。

*1:正確にはネットの日本語圏、とでもすべきか?