どんな顔で頼みに行ったのだろうか
朝日新聞(大阪本社)夕刊の連載「ニッポン 人・脈・記」が昨日(15日)から「お殿様はいま」といういやらしい章にはいっているのだが、そこに次のようなエピソードが記されている。会津松平家の第13代当主、松平保定(もりさだ)氏(83)が職場を定年退職後、「人柄を見込まれ」て「靖国神社の宮司に」という打診があった。辞退したが重ねての要請。3ヶ月考えて最終的に断った。
ちなみにA級戦犯の合祀に踏み切った松平永芳宮司は越前松平家の末裔。一方の当事者の証言の断片的な引用を鵜呑みにするわけにはいかないけれども、もし本当であればどのような意図で打診したのか、非常に興味深い。かつての「賊軍」を「英霊」として統合しようという野心的な目論見があったのか、それとも単に無神経だったのか・・・。
追記:記事が asahi.com にもアップされてました。 「ならぬ事はならぬ 会津魂」(魚拓)