「死者への敬意」は批判封じのための道具じゃない

古森義久氏の「朝日新聞の夕刊コラムが死者にツバかけるーーー故瀬島龍三氏を「あいつ」「てめえ」と 」というエントリを読んであきれかえり、宮本顕治共産党委員長が死去した時の産経の報道を再チェック…と思ったら、すでに「黙然日記」のpr3さんがツッコミを入れておられました。
靖国へのA級戦犯合祀擁護論などで「死んだ人のことは悪く言わないのが日本の伝統」みたいな表現がしばしばみられますが、そんなの二重の意味で嘘です。戊辰戦争薩長軍が会津藩の戦死者の埋葬を禁じたこととか、靖国が死者をはっきりと選別していることについてはすでにあちこちで指摘されているので、ここでは繰り返しません。他方、「死者のことを悪く言うべきではない」という道徳感情そのものは、別に日本に固有のものではなく、ほぼ普遍的に存在してるんじゃないでしょうか。ただし、「死んだからといって罪が消えてなくなるわけじゃない」という道徳感情とセットで。
例えば諺には対立する内容のものが存在していることがしばしばあることが示すように、ある道徳感情に対してはそれと対立する道徳感情があるというのが人間というものだ、と私は考えます。これは決して矛盾ではなく、むしろ人間の行動をサイバネティックス的に安定させるメカニズム*1であると言えます。「勇気」をたたえる道徳感情しかもたない社会、人間は「蛮勇」の弊害を免れるのが困難になりますから、「臆病」を支持する道徳感情もあった方がよいわけです*2。道徳システムの違いとは、異なる道徳感情を採用していることによるというより、対立し競合しあう道徳感情のあいだにどういう優先順位をつけるかによる、という仮説についてはここではこれ以上立ち入りません。
本題に戻ると、「死者のことを悪く言うべきではない」には、直接責任のない遺族への配慮とか死者は反論できないという点で支持すべきところがありますが、しかしそれだけでは「当事者が亡くなったら無反省」という事態を招いてしまうわけです。そのどちらをより強調し重視するかはそれこそ「文化」によっても違うだろうし、個人の資質*3にもよるだろうし、死者の(生前の)地位によっても違うだろうし、当然政治的な都合(と言えば卑俗すぎるというなら歴史観、と言ってもよい)によっても違ってくるでしょう。宮本顕治瀬島龍三の死亡記事をめぐって朝日新聞産經新聞のあいだに随分と温度差があるとすれば、それは両新聞の政治的スタンスの違いによると考えるのが素直というものであり、またその程度の温度差は当然あってしかるべきとも言え、あたかも「国際的にみれば、中道、普通、穏健」な視点*4から判断しているのだと主張する方がむしろ欺瞞的です。
私としては、公党の委員長であるとか大本営参謀、臨調の委員といった地位にあった人間に対しては、たとえ死後であっても生前と同じように(同じレベルの表現での)批判の対象となってしかるべきだと考えます(そうした地位はしばしば、死後にも続く名声をもたらしうるのですから)。「死者は反論できない」という点についても、これほどの地位にあった人物であれば代弁者が必ず現われますし。だから、私はどちらの記事も批判しませんが、一方を棚にあげて他方だけを問題にする(そして、それをあたかも中立的な「死者への敬意」の問題であるかのように偽装する)古森氏のエントリは批判せざるを得ない。朝日が「死者にツバする」なら古森氏は「天に唾する」ですな。
ほとんど蛇足ですけど、内容的にもおかしな批判です。

古山高麗雄氏の言葉を引用する形をとっているのです。その古山氏の原文が果たして瀬島龍三氏個人に標的をしぼっていたか否かも、わかりません。瀬島氏が本当に「何万人もの兵士が餓死しても平気」だったのか。「国家とは、てめえだけのこと」だったのか。どうやって実証するのでしょう。

原文は「あいつら」となっているのだから、「瀬島龍三氏個人に標的をしぼっていた」なんてことがあり得ないのは、まあ小学生高学年程度の日本語読解力の持ち主にとってははじめから自明でしょう。逆に「あいつら」のなかで「瀬島龍三氏個人」が特に除外されていると「実証」する根拠を古森氏はお持ちなのか? 仮に『フーコン戦記』で批判されているのが大本営ではなく南方軍とかビルマ方面軍とか、あるいは師団の参謀だとしても(未読なので確認していませんが)、それを“参謀の中の参謀”である大本営参謀(瀬島は39年11月に大尉として参謀本部に着任、以後45年7月まで在籍*5)への批判に援用するのが的外れだとはとても思えないのですが。

*1:これが獲得されるプロセスがどのようなものであるかについては、ここではオープンにしておきます。

*2:言わずもがなのことを付け加えるなら、旧日本軍は「攻撃精神」を過剰に称揚し、集団の道徳システムの中で「勇気」というファクターを肥大化させ過ぎたために、合理的なふるまいができなくなった例でしょう。

*3:生得的なものかどうかはここでは問わない。

*4:古森義久氏が自称しているスタンスです、念のため。

*5:保阪正康、『瀬島龍三 参謀の昭和史』、文春文庫、による。なお同書によれば、『不毛地帯』の主人公のモデルは瀬島ひとりではなく、「七、八人の関東軍参謀たちのそれを借用して複合したものになっている」とのこと(33ページ)。