台湾人遺族のケース

少し前に、1992年になってようやく父親の戦傷死を確認することができた韓国人遺族についての報道を紹介しましたが、台湾人遺族についても同様のケースがあったようです。『現代の理論』の08年新春号(Volume14)は巻頭に今村嗣夫弁護士と高橋哲哉氏の対談、「戦後補償問題からみた日本」を掲載していますが、その中で今村弁護士が次のようなケースを紹介しています。

 当時、この集会〔1978年の「日本の戦争責任を問い続けるアジアの証言、靖国への拒絶集会」のこと。引用者〕が日本の戦後責任を追及する初めてのものでした。きっかけとなったのは、私のところに台湾の貿易商の男性が通訳の在日の台湾人と私を訪ねてきたことです。「自分のお父さんが、靖国神社に合祀されている。まつられているのを止めてくれと靖国神社に言ったんだけれども取り合ってもらえない」と弁護士の私に訴えにきたのです。靖国神社の使いが台湾で「合祀通知」を配り、来日し参拝することを求めたというのですが、その通知には「あなたのお父さんはどこどこで戦死したと、詳しく書いてあった」そうです。厚生省からの情報だと思いますが、そのような合祀通知を見た婦人たちは、日本政府からの戦死の公報を受けたことはなかったのに、靖国神社から合祀通知がきて、初めて亡くなったと分かって号泣した。大変なパニック状態になったといいます。
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国家が動員して死に至らしめた人間の消息を遺族にきちんと伝えることは、公的な追悼を云々する以前の最も基本的な義務であろう。