「日韓歴史共同研究」とナショナル・ヒストリー

先日報告書が発表された第二期の「日韓歴史共同研究」については、まだ第3分科会(近現代)と教科書小グループの目次に一通り目を通して、いくつかの論文を斜め読みした程度なのだが、「日中歴史共同研究」と比較すれば(政治外交史や軍事史以外の)多様なアプローチが採用されている点は注目に値する(これは第一期についても言える)。他方で、「日中共同研究」よりも問題をはらんでいるのではないかと思われる点もある。「黙然日記」さん経由で「古田博司」という名前を目にしたのでその業績を調べたところ、「あちゃ〜」と声を上げてしまった。
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784166605200
この点については ni0615 さんが詳しく紹介されています。なお、「「韓国は外国人に地方参政権を与えた。日本も見習え」といわれたら」という項目を担当しているのが百地章センセである点も突っ込みどころですね。


櫻井よしこのようなガチの歴史修正主義者を起用しているところも問題だが(ちなみに『正論』4月号では古田氏は阿羅健一というこれまたガチな歴史修正主義者と肩を並べて寄稿しています)、それだけでなく『韓国・北朝鮮の嘘を見破る』という新書が徹頭徹尾「国民の歴史」に「国民の歴史」で対抗しようとする発想で貫かれていることにも注目したい。
韓国の歴史教科書が控えめに言っても日本の歴史教科書と同程度には(そしておそらくは日本以上に)「国民の歴史」志向をもっていることは事実であろう。抽象的に、望ましい歴史教科書(ないし歴史教育)のあり方の問題として考えるなら、これは克服されるのが望ましいことではある。しかし一足先に近代国家の体裁を整えたら隣国の国民国家作りを妨害し、敗戦後もドイツとは違って旧植民地に分断を肩代わりしてもらった国の国民としては、安易に「ナショナル・ヒストリーの枠を超えていかなきゃね」などとは言えたものではない。まして、上述したような発想で貫かれている本の編者を「教科書小グループ」の幹事にするなどというのは、はなから共同研究を決裂させるのが目的の人事と評されてもしかたないだろう。