「証言記録 兵士たちの戦争 消えた連合艦隊」

中部太平洋のほぼ真ん中に浮かぶトラック諸島。さんご礁に囲まれ、大小200余りの島々が点在します。ここはかつて、日本が誇る連合艦隊の一大拠点であり、難攻不落の島だと言われていました。しかし戦局が悪化した昭和19年2月、米軍機動部隊の空襲によって、わずか2日で、基地機能を喪失してしまいます。この空襲で、輸送船31隻をはじめ、40隻を超える艦船が失われ、日本海軍は、その後の作戦に支障を来たすほどの大規模な損害を出します。
その後補給を絶たれたトラック島では、栄養失調で5千人が餓死し、そのほとんどは末端の兵士や武器も持たない軍属たちだったと言います。
一体なぜ、これほど多くの輸送船が犠牲となったのか?補給の断たれた島で何があったのか?トラック大空襲の実態に迫ります。
(http://bit.ly/fsNZLp)

先日、放送予定の告知エントリを書いた時点ではタイトルは「トラック島の戦い(仮)」となっており、トラック諸島の連合艦隊根拠地への空襲をとりあげたものだろうという予測はついたが、放送時には「消えた連合艦隊」というタイトルになっていた。
軍令部はトラック諸島への米軍の侵攻を予想して連合艦隊に主力を後退させるよう督促していたにもかかわらず、早期の決戦を望む連合艦隊はトラックに留まっていた。ところがマーシャル諸島の航空勢力が壊滅したため、連合艦隊主力は地上勤務者やトラック在住の民間人、物資集結のため徴用された商船の乗組員を残して後方(本土とパラオ)に後退してしまう。なにも知らされないまま残留していた商船などを米機動部隊が空襲したのが44年2月17日、18日だった。
「内地」に引き揚げる女性や子どもなど500人以上の民間人を乗せた赤城丸も沈没。兵士や民間人あわせて50人とともに救命ボートで漂流した元通信兵はこう証言する。

〔漂流を始めて一週間、水も食料も尽きつつある頃、上官の一人が言ったことばとして〕「軍人でない女子どもは死んでください 死ね」って/これからまだ兵隊は働いてもらわなならん その人の飲む水とか食料が減るでしょ/そしたら沖縄の人が 「兵隊さん、元気で帰ってくださいよ」って言ったの わしんとこにね/「ありがとうございました お世話になりました」と言わんばかりに/死ぬ先に なかなかそれだけ言えないよ/その時はかわいそうだのって思ったけど まあどうしようもない/あの兵隊さん ありがとう/〔目頭を押さえて〕ここまで言うと 泣けちゃう/海に飛び込む時 子ども連れて…

サイパンよりも沖縄よりも先に子ども連れでの「自決」を迫られた母親がいたわけだ。


空襲による損害の責任を問われたのは島に残っていた現場の指揮官だけで、連合艦隊上層部の責任は追及されなかった。海軍の文書には「GF〔連合艦隊〕ヨリ調査に反對ナル意向表明アリタル場合ハ(……)刺戟セザル程度ノ調査ヲ行フ」とあり、当初から完全な調査をする気がなかったことがわかる。
その後も海軍はトラック諸島が米軍の基地となることを恐れ、増援を送った。空襲後にトラックに派遣された元士官は、到着すると上官にこう告げられたという。

海軍主計中佐の矢野って人がいまして/「もうひどい目になってるけども これを立て直したい」/「君 頑張ってくれ」と/あの時の言葉は今でも忘れないが 「まぁそういう事だがな〜」と/これは不可能な事を格好つけるだけでいいからやろうと 言う事なんだな

実際にはトラック諸島は米軍の蛙飛び作戦のため、補給が途絶したまま戦線の後方で孤立することになる。食料配分をめぐる階級間の不平等がここでもあらわになる。

士官なんだからそれくらいの事〔=兵士よりも多くの食料を配分されること〕はやっていいんだというやつもいるだろうから/そういう特権意識が持てる人間っていうのはね やったと思います/現実に周りの連中の中にそういうのいたから
(前出の元士官)

勝手に芋を掘ったことが露見して殴り殺された兵士もいたという。つまりは軍法に則った処罰ではなく、私刑である。
しかし、これは他の戦線でもあったことだが、トラック諸島には3ヶ月分の食料が備蓄されていたという。「不可能な事を格好つけるだけでいいからやろう」とはいっても、下級兵士の生命への配慮はなかった。栄養失調で死期の迫った部下にこっそり備蓄食料から調達して白米を腹一杯食べさせたという元軍属はこう語る。

(……)泣きながら食べてる奴もいましたね/7、8人は殺したつったら 語弊がありますけれども やっぱり死んでったんですよね/飯ごうに銀メシをあれして/〔両手で顔を泣き顔を隠しつつ〕あの格好は思い出したくないのと同時に忘れられない あの満足そうな顔

将校の特権意識を批判した前出の元士官も、200人の部下を抱えどう生き延びるかと苦労した日々がいまも忘れられないという(秦郁彦氏は中国戦線で中隊長だった故・藤原彰氏が「私は今でも、中隊長としてどうやって部下百数十人の食糧をまかなうか心配ばかりしている夢を見る」と語っていたと証言している)。

あと何人死んでくれると この芋で食える そういう計算をしますよ/あと10人ほど死んでもらわないとっていうことも出てくる 計算上/その段階ではやむをえないと思っていたけど/敗戦になってから 自分があさましい野郎だなと思いましたな/テメーだけいい思いをしていた士官とそう違わないんじゃないか/そういう傲慢さね これがちょっと抜きがたい後悔ですね

再放送は3月31日(木)午前11時00分〜、BShiにて。