『カブラの冬』
昨年から刊行されはじめた人文書院の「レクチャー 第一次世界大戦を考える」シリーズ、どういうわけか地元の大型書店では現物を拝むことができず、ただでさえ積ん読の在庫に不自由していないということもあってずるずるとそのままになっていたのだが、この度ようやく『カブラの冬』を読むことができた。想像していたよりずいぶんと薄い(150ページほど)本で、そのため店頭で見落としていたのかもしれない。このシリーズは京大人文科学研究所の共同研究班、「第一次世界大戦の総合的研究に向けて」(後、「第一次世界大戦の総合的研究」と改称)のメンバーが執筆者となっており、「これまでの研究活動の中間的な成果報告」であると同時に「第一次世界大戦をめぐって問題化されるさまざまなテーマを平易に概説することを趣旨とする」、とされている(「「レクチャー 第一次世界大戦を考える」の刊行にあたって」より)。(人文書院の書籍としては)価格を抑え、ページ数も限られているのはこうした「趣旨」によるものなのだろう。
周知の通り、日本における第一次世界大戦研究の蓄積は乏しく、その世界史的なインパクトが充分に認識されているとはいいがたい。「第一次世界大戦を考える」ことを促すうえで有効な一助となることを願いつつ、ささやかな成果とはいえ、本シリーズを送り出したい。
(同所)
さて、本書はタイトルが示す通り、1916年から17年の冬にピークを迎え大戦期間中に76万人前後と推定される犠牲者を出したドイツの飢餓を題材とし、この飢餓が「平時に沈潜していた社会の矛盾」を可視化したこと、後に「ナチズムを生みだす土壌になった」ことを示そうとするものである(16ページ)。ところで、このシリーズ全体として「最も中心的な検討の対象となってきた仮説」は、「刊行にあたって」によれば、次のようなものとされている。
第一次世界大戦こそ私たちが生活している「現代社会」の基本的な枠組みをつくり出した出来事だったのではないか、依然として私たちは大量殺戮・破壊によって特徴づけられる「ポスト第一次世界大戦の世紀」を生きているのではないか−−
(強調は引用者)
この観点から考えるとき、本書の議論の特徴の一つはドイツに飢餓をもたらしたイギリスの海上封鎖に極めて厳しい評価を下している点であろう。
(……)ここで私が重要だと思うのは、この〔ナチス・ドイツによる占領地での〕飢餓政策は、結局イギリスが大戦中に行なった海上封鎖による兵糧攻めの応用だったことである。たしかに、目的も戦術も異なるが、飢餓を政治の道具とすることで生じたナチスの空前絶後の暴力は、イギリスが、長期間にわたって民間人をゆっくりと飢えさせ、死なせたことと基本的に同質である。イギリスは間違いなく、「食料テロリズム」という点でパンドラの箱を開けたのである。
(130ページ)
「目的も戦術も異なる」ことと「基本的に同質」であることのどちらを重視するかについては議論が分かれるところであろうし、これに続いて著者が「アウシュヴィッツ以後」という時代区分より「海上封鎖以後」の方が正確ではないかと問題提起している点については異論も多いかもしれない。しかし「良心の呵責を感じずに相手国の住民を攻撃できた感覚は、のちのナチスの「飢餓政策」からアウシュヴィッツまでをもつらぬく二〇世紀的な暴力感覚である」(140ページ)という主張にはたしかに聴くべきところがあるように思われる。第二次世界大戦で全面的に開花する「空爆の思想」についても、その萌芽は第一次世界大戦にすでに見られるのである*1。