戦没海軍少尉の日記が遺族の手に

 【シドニー時事】太平洋戦争で戦死した日本兵の日記がオーストラリアから68年ぶりに娘の延広百合恵さん(70)=広島県福山市=の手元に届けられ、延広さんは20日、在シドニー総領事館で、日記を返還したリンディ・グローバーさん(64)と対面した。
 日記は元オーストラリア兵だったグローバーさんの義父(故人)が持ち帰っていた。延広さんは「(父は日記に)娘である私のことは思わない日はないと書いており、68年ぶりに私の手元に日記を返していただいたということに、父の執念のようなものを、運命的なものを感じます」と話した。グローバーさんは「持ち主を探せるか分からなかった」ので総領事館から家族が見つかったとの連絡を受け喜んだと語った。

毎年数件は同じようなニュースが報道されますね。当時まだ若かった連合軍将兵が気軽に、お土産として持ち帰った日記や日章旗が年月とともに意味あいを変えていったのでしょう。返還を望む側も受けとる側も当事者ではなく遺族であるケースが年々増えてはいますが。
連合軍兵士による「戦場土産」としては金歯あさりが悪名高いわけですが、そういえば管見の限りでは金歯の持ち主の遺族を捜そうとしたというはなしは聞いたことがありません。持ち帰った元兵士がその後どうしたのか、気になるところです。


ところで、今回返還された日記の持ち主は「乗っていた戦艦扶桑が44年10月にフィリピン・レイテ沖で攻撃を受け沈没し、戦死した」とされています。ではこの日記はどうやって豪兵の手に渡ったのでしょう? 日記の記入は「43年3月26日」で終わっているとされていますので、約1年半の間に起きたなんらかの事情によって、日記はレイテ沖に沈まずに娘さんの手元に届くことになったのだと想像されます。