『日中歴史認識』途中報告

こちらのエントリのコメント欄で話題になった上記の本を図書館で借り、満洲事変〜国際連盟脱退までのところ(第2章まで)を読了。
さかのぼり日本史」ともっとも違う点は、日本政府(外務省)の宣伝活動についても紙幅が割かれているところ。もちろんこの宣伝活動はリットン調査団をもターゲットにしており、そして相当程度の効果をあげたと著者は評価している。

 このようにリットン報告書は、日本側の利益にかなり腐心していた。対日宥和の産物といってよく、日中の和解を求めたものといえよう。
 ではなぜリットン報告書は、そこまで日本に宥和的なのか。理由は二つ考えられる。
 第一に、中国の「革命外交」を批判するなどした日本側宣伝の効果である。もちろん、日本が満州を占領する中での宣伝であり、満州事変を引き起こしたのが日本である以上、日本の宣伝には限界があった。それでも、少なくとも結果から見れば、日本側宣伝が無意味ではなかったといえよう。
(120-121ページ)

国際連盟での松岡・顧論争については、番組と同様、松岡が「田中上奏文」の真贋に固執したためかえって国際社会に印象づけられた、と分析されている。だが国際社会への「宣伝」はお互い様であり、対日宥和的なリットン報告書を導くほどには日本側の宣伝にも効果があった。そして日本側の宣伝にとって最大の制約・足かせになっていたのは、服部氏も指摘する通り「日本が満州を占領する中での宣伝であり、満州事変を引き起こしたのが日本である」という事実だろう。だとすると、どうにも(松岡には)「受け流すという選択肢もあった」という結論は納得しがたい。むしろ「宣伝には限界がある」というのが酌むべき教訓ではないのだろうか。