日本政府、再び自爆か?

 玄葉光一郎外相は10日午前の参院予算委員会で、クリントン国務長官が旧日本軍の従軍慰安婦を「性的奴隷」と表現するよう部下に指示したとする韓国紙報道について、事実関係を確認していることを明らかにした。自民党の川口順子元外相への答弁。
 外相は、米国務省と外務省の間で「性的奴隷」という表現は使ってないとし、「仮にそうであれば、これまでの首相のおわび表明、(元慰安婦支援の)アジア女性基金などの取り組みを説明し、『そういった言葉は違う』と言う」と語った。
(後略)

首相が歴史修正主義者ですから、外相がこんなのでも驚きはしませんが、しかしこの答弁の間抜けさ加減は一体どうしたことか。
仮にクリントン国務長官が「日本政府の対応は不十分」と発言したというのであれば、「おわび表明」や「アジア女性基金」を引き合いに出すことは意味をなします。それがどの程度誠実かつ効果的な反論になっているかどうかは別として。しかし「性的奴隷」という用語を選択するかどうかは、日本軍「慰安所」制度に対する歴史的評価の問題です。1990年代以降に日本政府がそれに対してどのような取り組みを行ったか(また行わなかったか)とは、これっぽっちも関係のない問題です。「おわび」をすれば過去の事実が改変されて「それほどひどくなかったことになる」、なんてことはあり得ないのですから。
「性的奴隷」という用語にクレームを付けることは、政治的には国際社会の「慰安所」制度に対する評価に異議を唱え、「それほどひどくなかった」と主張することを意味します。とすると、アメリカ側はこう考えるでしょう。日本政府は何のために「おわび」をしアジア女性基金をつくったのか? 「慰安所」制度が強制売春、性奴隷制であることを認めたからではないのか? 「性的奴隷」という用語にクレームを付けるということは、先の「おわび」をなかったことにしたいということではないのか……?


まあ外務省の意図としては、「もはや国際的な評価を覆すことはとうていかなわない、せめて国内では“慰安婦”という婉曲語法だけが流通するようにして、「慰安所」制度による人権侵害の重大さから国民の目をそらしたい」といったところだったのかもしれません。しかしどうアメリカにねじ込んだとしても「性的奴隷ではなかった」などという発言をクリントンから引き出せる道理はありません。結局は外相、場合によっては首相までもが「政府は河野談話を踏襲している」と表明して決着、ということになるのではないでしょうか。公人によるセカンドレイプの事例がまた一つ増えたという代償を払って。