元「慰安婦」の証言を否認しなかった警察

8月5日の『朝日新聞』の特集記事では次の論文が援用されていました。

  • 藤永壮、「戦時期朝鮮における『慰安婦』動員の『流言』『造言』をめぐって」、松田利彦ほか編『地域社会から見る帝国日本と植民地 朝鮮・台湾・満洲』、思文閣出版、 2013年

執筆者である藤永壮・大阪産業大学教授の講演会に先日行ってきたのですが(冒頭で永井和さんにも「先輩」として言及されていました)、講演でも援用され、上記論文でも扱われているある資料についてご紹介いたします。
問題の資料は「流言蜚語者処罰ニ関スル件」(京高秘第二三〇三号、1939年9月13日)という、京畿道警察部長名義の文書です。表題の通り流言蜚語の取り締まり状況を記録した文書ですが、その中に1938年の3月から翌39年の8月まで南京の「慰安所」にいた女性の取り調べ記録が含まれています。この女性は「第一線の娼妓は軍人と共に戦争に参加したることありて実に危険」(現代仮名遣いに直した、以下同じ)云々と語ったとして取り調べをうけたのですが、その際「娼妓就労中一日七十名位の客を受持たされたる関係上身体に無理を生じ食欲減退し腹痛腰痛あり身体衰弱し病臥したること縷々にして」(明らかな誤字を訂正)という事情を供述し、再び人身売買で慰安所に行かされるのを回避するためだと動機を説明しています(藤永前掲論文、739ページ)。この女性も前借金により拘束されており、1年半ほどで完済したため帰国できたわけですが、その代償に途方も無いハードワークを強いられたわけです。
興味深いのは、警察がこの女性の供述を基本的には信用したと思われる、という点です。それは、通常であれば陸軍刑法第99条を適用し禁固3、4ヶ月の判決が出ることが多いのに対して(同論文、737ページ)、この女性は「同情すべき点あるを以て」「警察犯罪処罰規則第一条第二十一号違反」で拘留七日、という極めて軽い処分が下されていることで示されている、と藤永教授は指摘しています(同論文739-740ページ)。