歴史修正主義への屈服の見本

リンク先の記事を要約すると、以下のようになります。
横浜市中区の根岸外国人墓地入口に掲げられていた英文の案内板にあった「第2次大戦後に外国軍人軍属と日本人女性との間に生まれた数多くの子どもたちが埋葬されている」という記述が削除されていた。
・代わりに「第2次大戦後に埋葬された嬰児(えいじ)(幼児)など、埋葬者名が不明なものも多い」という記述になっている。
・市の担当課の説明は「外国軍人軍属と日本人女性との間に生まれた子どもたちが埋葬されたとの記録はない」、「案内板の当初の記述では、ここに埋められた子どもがすべてハーフの非嫡出子だとの印象を与えかねないという判断もあり得る」などといったもの。


冒頭で引用させていただいたツイートでは「歴史修正主義のお手本」とされていますが、各地での朝鮮人強制連行に関する追悼碑等への圧力などと考えあわせると、行政の歴史修正主義への屈服の見本、と言うこともできるのではないでしょうか。
そのポイントはまず公文書至上主義です。記事中で紹介されている証言にあるように「許可なく埋めた」ケースは役所に「記録」がなくて当然です。そのようなケースの存在が推定される場合に記録の不存在を盾にとり、それ以上の調査をネグることは、歴史修正主義に好意的な結論につながります。第二に、「第2次大戦後に外国軍人軍属と日本人女性との間に生まれた数多くの子どもたちが埋葬されている」について「ここに埋められた子どもがすべてハーフの非嫡出子だとの印象を与えかねないという判断もあり得る」などと、言いがかりとしか評しようのない“誤解”を忖度している点。「数多くの……」を「すべて……」と思い込んだクレームがあれば「いや、“すべて”なんて書いてないでしょ?」とはねつければ済むことですが、横浜市はそんな非実在クレームを先取りして書き換えてしまったわけです。実際に「……が多数あった」を勝手に「すべてが……だった」と読み替えて「ほら! ……じゃないケースがあるぞ!」と言い出すのは、歴史修正主義者が日本軍「慰安婦」問題で使う手口ではありますが、このようなミエミエの詭弁にすら行政は容易に屈してしまうことが明らかになったわけです。