「したとされる」はいつごろから?

7月7日、9月18日がそうであったように12月13日もまた「現地で追悼式典」云々という報道に終始した日本のマスメディア。『朝日新聞』なんかは14日朝刊にこんな記事を載せただけです。

さて、少なからぬ方が13日にSNSで批判的に指摘されていたのが、日本メディアの「したとされる」という用語法です。例えば日経新聞は「1937年に旧日本軍が多数の中国人を殺害したとされる」、フジテレビは「1937年に旧日本軍が多くの市民を殺害したとされる」……といった具合です(なお歴史修正主義トップランナーフジサンケイグループの一員たるフジテレビは、被害者があたかも民間人だけであったかのような工作も行ってますね。さすがです)。
言うまでもなく、「……とされる」というフレーズは事実認定の根拠を不特定の他者に委ねることを含意するもので、書き手が事実認定にコミットしないことを意味します。シベリア抑留についての『読売新聞』の記事で「とされる」というフレーズが使われているものを確認することができましたが、この場合は犠牲者の人数が書かれていました。犠牲者数について諸説あるのはよくあることなので、その諸説の一つであることを示すために「とされる」とするのはまだわかります。しかし「多数の」「多くの」と犠牲者数をぼかした記事においてすら「とされる」としていたことが批判されたわけです。
この「……とされる」という逃げはいつごろから一般化したのでしょうか? 『朝日新聞』のデータベース「聞蔵II」は全文検索できるのが80年代なかば以降の記事に限られるためきちんと調べるのはなかなか容易ではありませんが、いまのところ見つけることのできた、『朝日新聞』での最も古い例は1987年12月8日夕刊、東史郎氏の訪中予定を伝える記事の中で「旧日本軍が多数の中国人を殺害したとされる南京事件」とされているものでした。82年に「侵略→進出」の書き換*1えをめぐって、86年には「新編日本史」をめぐって起きた「教科書問題」の影響を疑いたくなるところですが、さらに過去にさかのぼって事例を見つけることができるかもしれません。今後も暇を見て縮刷版をあたってみたいと思います。

*1:当初の報道に誤りがあったのは事実だが、あたかも検定による書き換えがなかったかのような右翼の主張も誤り。