「国民の歴史」を疑えない「複眼」

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「7月7日」や「12月13日」とともに日本のメディアでは軽視されている「9月18日」ですが、今年は90周年ということもあってか『朝日新聞』が社説で取り上げています。そのこと自体は評価したいと思いますが、内容はといえば……

まず「だが日本では、この日はそれほど意識されない」「中国との戦争がいつ始まったのかを答えられる学生はあまりいないという」といったあたりから引っかかります。例年、中国で式典が開かれたことくらいしか記事にしてこなかった自社の姿勢をまずは問うてみるべきではないでしょうか。

しかし最悪なのは次の部分です。

 その際に不可欠なことは、自国だけでなく、関係する他国の目線でも過去を顧み、思考することだ。当時の自国の行動と思惑が他国にどう映り、なぜ誰も望まぬ破局に陥ったか。

「複眼的な歴史観」を説いておきながら“自国の目線”なるものは当然視しています。「複眼」というのならばまっさきに疑わなければならないのは“自国の目線”であるはずです。

このいかにも『朝日新聞』らしい限界は10日前のこの社説にも露呈しています。

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「日本対韓国」という日本の右派が設定した土俵にのっかり、「被害者の救済が原点だ」を裏切る内容でしかありません。2014年の「検証」特集にあたって結局は腰砕けとなり「慰安婦」問題に関する言論状況を著しく悪化させたことへの反省もありません。