ギリシャの対独賠償請求

-時事ドットコムニュース 2019年04月20日 ギリシャ、独資産差し押さえ検討=戦争賠償で「最終手段」

すでに昨年には、ポーランドナチス・ドイツによる占領の損害に対する賠償の請求を検討しているとの報道があったところです。

-朝日新聞DIGITAL 2018年9月1日 ナチス占領の損害「6兆円」 ポーランドが賠償請求検討

日本社会に蔓延している“いつまでも過去の問題を蒸し返すのは中韓だけ”という認識が端的に誤りであることがよくわかります。

 

問題は「誤訳」ではない

-AFPBB NEWS 2019年3月26日 「旧日本軍兵士を「英雄」とたたえ怒り招く、マレーシアで慰霊碑の撤去要求

クダ州の観光委員会議長は「誤訳」を謝罪。看板は撤去したものの、慰霊碑自体の解体要求には応じず、「石碑は1941年以来ずっとそこにあるものだ。さらにわれわれはクダ州により多くの観光客誘致を目指しており、史跡の維持管理の取り組みの一環だ」と説明した。

 碑文の「誤訳」として火消しを図っているようですが、この碑は戦後に建てられた慰霊碑とは明らかに性格が異なります。

この石碑はもともと、英国をはじめとする連合国軍を遮断するため、戦略的な要衝だった橋の確保に当たって戦死した兵士3人をたたえて日本が建立したものだった。

 このような碑を日本からの資金提供で「修復」したというのですから、侵略戦争の美化以外のなにものでもありません。

韓国を始めとする世界各地で建立されている日本軍「慰安婦」被害者の追悼碑にはあれだけ大騒ぎをする日本の主流メディアもこの件については(ネットメディアがAFPの記事を転載したのを別として)だんまりを決め込んでいます。

 

 

いまだ「百人斬り訴訟」の結果を否認し続ける yamamoto8hei

yamamoto8hei というツイッターIDを持つ、偽ユダヤワナビーのことは当ブログの読者の方ならご存知かもしれません。かつて「一知半解」というハンドルで当ブログの「百人斬り」関連記事にコメントしていたこともありました。「て、ゆーか一知半解?」とか薄ら笑いが湧きますよね。実際には無知無解なやつですけど。

さてこいつは、右翼が画策した「百人斬り」訴訟が結果的に両少尉の戦争犯罪を裏付ける結果になったことを否認し続けてきたのですが、最近になって一層珍妙なリクツを振り回すようになったので、「歴史修正主義というのがいかにデタラメな主張か」を記録するため、とりあげてみたいと思います。

まずは昨日来の yamamoto8hei の駄ツイートをば引用します。

 「最終判決文」というフレーズでもう「プッ」と吹き出しそうになりますが(正しくは“原告の上告が棄却されることで確定した東京高裁判決”)、裁判所はまさに「両少尉が、南京攻略戦において軍務に服する過程で、当時としては、「百人斬り貌争」として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実」は否定できない、と事実認定したわけです。

 こいつが原告の主張すら真面目に読んでないことがわかります。

 裁判所はまさに「両少尉が(以下略)

 

さていよいよ、記念碑を建てたくなるほど愚劣な  yamamoto8hei の主張をご紹介しましょう!

 

 こいつはほんとうに「一般に名誉毀損訴訟(民事訴訟としては不法行為責任を問う訴訟ですが、一般的な呼称に従っておきます)にはどのような争点があるか」「個別の名誉毀損訴訟ではどの争点が重要になるか」といったことを、まるで理解していないようです。

一般に名誉毀損訴訟で争われるのは以下のような点です。

・被告の表現行為が事実を摘示して原告の社会的信用を低下させたか

・被告の表現行為の対象が公益性を持つか、表現行為が公益目的でなされたものか

・被告の表現に真実性、あるいは真実相当性があるか

除斥期間が経過しているか

裁判では双方とも各論点で目一杯の主張をすることが多いですが、実際に勝訴/敗訴を分ける争点がどれになるかは、訴訟によって異なります。たとえば原告が公人である場合、公益性、公益目的性が重要な争点になることはあまりありません。

したがって、名誉毀損裁判の結果から一体どのような結論が引き出されるのかを知りたければ、結局は個別の裁判の判決と判決理由を読むしかないのです。

まず「百人斬り」訴訟の場合、東京高裁は「本件摘示事実及び本件論評の基礎事実が、その重要な部分について全くの虚偽であるといえるか否かについて検討」するとした部分において、「両少尉が、南京攻略戦において軍務に服する過程で、当時としては、「百人斬り貌争」として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実自体を否定することはできず」という事実認定を行ったわけです。

なおここで「その重要な部分について全くの虚偽であるといえるか否か」という部分に注目してください。名誉訴訟裁判で被告が勝利するには、別に“ありとあらゆる事柄について疑いなく真実を述べた”ことを立証する必要はありません。たとえば植村隆氏が櫻井よしこ氏を訴えた裁判の札幌地裁判決では、櫻井氏の記事の真実性は否定されましたが、真実相当性が認められて櫻井氏の勝訴となりました。だから現時点で櫻井氏やその支持者は「櫻井よしこが記事を書くにあたってかくかくしかじかだと信じたのには相当な理由があった」と主張することはできますが、「櫻井よしこの記事は真実であった」と主張することはできません。「百人斬り」訴訟について言えば、被告が勝訴したからといって『東京日日新聞』の「百人斬り」報道が真実を伝えていたと主張することはできませんが、両少尉が「百人斬り貌争」として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実は否定できない、とは主張できるわけです。

さてでは菅直人安倍晋三の訴訟からはなにが言えてなにが言えないのか。判決を読めば、この場合もやはり安倍晋三メルマガの当該記述が全て真実であると認められたのではない、ということがわかります。そして判決で“真実とは言えない”とされたのがまさに安倍メルマガ中の「注入は菅氏の指示で中断されていた」という記述なのです。だから、安倍氏が勝訴したこの裁判から私たちが引き出すことの出来る結論は、インチキ野郎の主張とは全く逆に、菅直人が海水注入を止めた、というウソを安倍晋三はついた」ということなのです。

『世界』19年2月号

岩波書店の月刊誌『世界』の2019年2月号では第2特集として「戦争の記憶と向き合い続ける」が掲載されています。

・裁かれた者の「記憶」と「記録」(内海愛子

・強制労働問題の和解への道すじ――花岡,西松,三菱マテリアルの事例に学ぶ(内田雅敏)

・戦後補償管見――記憶の承継と和解(新村正人)

慰安婦問題の隘路をどう進むか(吳泰奎)

チビチリガマを「壊す」と「作る」(下嶋哲朗)
・憎しみの連鎖を断ち切る――通州事件犠牲者姉妹の証言(笠原十九司

とりあげられている題材については、よく目配りされていると思います。問題はウヨ雑誌がほとんど毎号のように歴史修正主義的な記事を載せているのに対して、『世界』が何年かに一度こういう特集を組んだ程度では、量的にまったく対抗できないということですね。

また内田雅敏弁護士については、「花岡和解」を当事者の意向を軽視して進めたという批判もあり、ほかならぬ『世界』誌上で検証記事がでたことがあります。

興味深かったのは、笠原十九司さんによる通州事件生存者、および当時日本にいて難を逃れた姉への聞き取りが実現したきっかけが、『日中戦争全史』を読んだお姉さんから笠原さんに手紙が来たことだ、という経緯です。自分の個人史を日本の近現代史の中に位置づけて理解したい、しなければならない、という思いだったのでしょう。

 

「南京事件ー日中戦争 小さな資料集」「南京事件資料集」、サイト移転

みなさまごぞんじ、ゆうさんの「南京事件日中戦争 小さな資料集」と kk-nanking さんの「南京事件資料集」が、いずれもプロバイダのサービス終了に伴い移転されています。

新しいサイトはそれぞれ

http://yu77799.g1.xrea.com

http://kk-nanking.main.jp/index.html

となります。

三・一独立運動から100年

間もなくやってくる3月1日は三・一独立運動(の始まり)から100年の日に当たります。ただでさえ「徴用工」判決で植民地支配の歴史が問われているときです。ほんとうであればメディアが積極的にとりあげなければならないはずですが、いまのメディア状況では絶望的でしょう。実は「三・一」に先立つ2月8日には、当時日本に留学していた学生たちが独立宣言を出していますが、主要メディアはほぼ黙殺していました(韓国紙の日本語版記事を転載した Yahoo! ニュースが東京でのシンポジウムを伝えた程度)。時事通信が配信した短い記事は韓国大統領のコメントを報じたもので、7月7日や9月18日と同じ方式です。3月1日についても各紙の報道状況をチェックしたいと思っています。

『ナチスの戦争』

-リチャード・ベッセル、『ナチスの戦争1918-1949 民族と人種の戦い』、中公新書ナチスの戦争1918-1949|新書|中央公論新社

しばらく前に全4章のうち3章まで読んだところで電車内に置き忘れてしまい戻ってこなかったので長らく中断していたのだが、先日図書館で借りて最終章を読了。

タイトルが示す通り第二次世界大戦の前史としての戦間期から、戦争が戦後初期に及ぼした「余波」までを扱っている。新書とはいえ膨大な注も収録されているので、ナチス・ドイツの戦争の全体像を知る入門書としても、研究の蓄積(の一部)を知るのにも役立ちそう。

とりわけ興味深いのが「戦後」を扱った第4章。非ナチ化の不徹底(とりわけ西ドイツで)、戦争末期の経験からくる被害者意識、にもかかわらず掌を返すようにナチ・イデオロギーへの支持が消え去ったこと(と同時に存続した反ユダヤ主義)……と、日本の戦後と比較可能なところが多々あるのがわかる。

ではなぜいまはここまで差がついたのか? というのは本書の課題ではなくわれわれの課題だが、やはり「68年」を考え直すのが第一歩ということになるのだろう。