2冊の『通州事件』

今年は通州事件と題する書籍が2冊(歴史修正主義者によるものを除いて)刊行されました。

-広中一成『増補改訂版 通州事件』、志学社、2022年7月

-笠原十九司通州事件 憎しみの連鎖を絶つ』、高文研、2022年9月

広中版『通州事件』は2016年に星海社新書として刊行されたものの増補改訂版です。新書版が本文3章とコラム2つからなっていたのに対し、増補改訂版は4章「通州事件被害者家族の戦後」が加えられ、コラムも2つ増えています。また「資料編」として遺族2名へのインタビュー、および『東京新聞』が遺族を取材した記事2本が収録されています。

両者の共通点として、(あたりまえでしょうが)近年歴史修正主義陣営が通州事件を反中国キャンペーンに利用している状況を強く意識していることがまずあります。笠原版のサブタイトル、また広中版の帯に記された「恨みを恨みで返すのは、もうやめようー」という謳い文句がそのことをよく示しています(もっとも、歴史修正主義者たちが本当に「恨み」という感情を動機として活動しているとは私には思えないのですが)。

またこうした問題意識ゆえなのでしょうが、両者とも事件で家族を失った遺族のうち存命中の方に聞き取りを行い、その結果を収録しています(広中版では新書から増補された部分の殆どがこれに当たります)。

特に興味深いのは、両者が共通して聞き取りを行っている遺族が一人いることです(櫛渕久子さん)。広中版が一問一答式でやりとりを収録しているのに対し、笠原版では聞き取りをもとに著者が遺族の戦後史を綴るという形式になっている点も含め、いずれきちんと比較してみたいと思っています。

 

さて次に両者の違いについて。第一の違いは、いずれも通州事件に至る背景を記述した後事件そのものの経過を記述するという構成でありながら、広中版では背景よりも事件の経過により多くのページ数が割かれているのに対して、笠原版では背景を記述した部分の方が圧倒的に長い、という点です。通州事件は一都市で起こり翌日には収束した、歴史的出来事としては空間的にも時間的にも大きなスケールのものではありませんから、事件の経過の記述にはさほど多くのページを必要としません。実際、広中版と笠原版で(文字組の違いがあるとはいえ)事件の経過を記述した章のページ数はほぼ同じです。したがって、両者の違いは笠原版の方が事件に至るまでの背景を遥かに重視している、と表現することができるでしょう。

他方、広中版に記述があって笠原版が触れていない(ないしほとんど触れていない)論点もあります。一つは事件が日本政府と冀東防共自治政府の間でどう「処理」されたかであり、もう一つは事件が当時日本でどのように報道されたか、です。こうした点に関心があるのなら、広中版を参照する必要があります。

「夏の戦争番組」追記

先日肯定的にとりあげた8月20日放送のBS1スペシャル「戦禍のなかの僧侶たち〜浄土真宗本願寺派と戦争〜」ですが、ひとつ書き忘れていたことがありました。ナレーションが近年ネトウヨ的言動の目立つ世良公則だった件です。そうした言動を知らずに起用したのであればうかつとしか言いようがありませんが、承知のうえで「NHKの仕事なら持論を枉げてでもやるだろう」とキャスティングしたのであれば、面白いかもしれませんね。

まあ真相は「知らないわけではないが別に問題だとは思わなかった」あたりのような気もしますが。

今年の9・18、夏の戦争番組

9月22日朝の時点において、Google ニュースで「柳条湖事件」を検索した結果の上位はこんな具合でした。

柳条湖事件」検索結果

例によって中国での記念行事を伝える記事がならんでいます。今年は共同通信が配信した「満州事変、加害の歴史忘れない」という記事があるので例年よりはマシではありますが。

 

しんぶん赤旗 日曜版』の9月18日号には「今夏の終戦番組振り返る」というテレビ評が掲載されていました。「今年の夏は「子どもの目から見た」戦争をテーマとする放送が印象に残った」として、視覚障害者の戦争体験をとりあげたハートネットTVの「戦争が聴こえる」、戦争孤児をとりあげたETV特集「ずっと、探し続けて〜“混血孤児”とよばれた子どもたち〜」、BS1スペシャル「沖縄戦争孤児」などがあげられていました。いずれも戦争に関するナラティヴにおいては長らく周辺的な位置に置かれていたテーマです。

しかしあいかわらず加害の側面をきちんととりあげた番組はわずかでした。NNNドキュメント'22 の「侵略リピート」(8月14日放送)は近藤一さんら加害体験を語る証言者を登場させていましたが、新規の取材ではなく過去の取材の素材を再編集したように見受けられました(もっとも、直接の体験者が残り少なくなる中、既存のフッテージを見直して新たな文脈とともに提示することも今後は考えられるべきでしょう)。

「加害の側面を伝えているか?」という観点からもっとも評価できるのは8月20日放送のBS1スペシャル「戦禍のなかの僧侶たち〜浄土真宗本願寺派と戦争〜」でしょう。

www.nhk.jp

南京攻略戦には触れながら南京大虐殺には触れないなどの限界はありましたが、教団の戦争協力に向き合う僧侶たちをとりあげたのは意義のあることでしょう。

遺骨と印鑑

沖縄激戦地で発掘された「存在しない名字のハンコ」 調査の結果明らかになった驚きの真実とは(抜粋) | デイリー新潮

沖縄激戦地で発掘された「存在しない名字のハンコ」 ついに遺族との接触に成功(抜粋) | デイリー新潮

沖縄戦の激戦地跡で遺骨とともに見つかった「印鑑」を手がかりに、遺族と思われる男性にたどり着きDNA鑑定へつながりそう……という記事がちょっと話題になっていましたが、これを読んだとき私はもう一つの「印鑑」にまつわる報道を連想しました。

関西では4日ではなく翌5日の放送でしたが、別の特集目当てでたまたま録画していたため見ることができました。

ご覧になった方は多くないと思われますので、スクリーンショットを用いてご紹介いたします。

この20年ほど、万里の長城付近の戦場跡で遺骨・遺品の収集を続けている楊国慶さん。

歩兵第41連隊の兵士の遺骨が見つかりました。

遺骨とともに見つかった印鑑。遺骨の主と印鑑の持ち主は別人だったのですが(遺骨の主を特定する決め手になったのは金歯)、名簿と照らし合わせることで同じ部隊に所属し同じ日に同じ場所で戦士した兵士に絞り込むことができたわけです。

取材班は歩兵第41連隊がおかれていた福山に向かいます。

印鑑が手がかりの一つとなって遺族(息子)にたどり着きます。

こちらは遺骨の主の孫に当たる男性です。

楊さんのような中国市民に敬意を評するため、今後ともほそぼそとではあれ更新を続けてゆくつもりです。

2022年の7月7日

一週間ほど遅くなってしまいましたが、今年も7月7日についての報道をチェックしてみました。

www.jiji.com

digital.asahi.com

例年のごとく「式典」報道が並んでいますが、毎日新聞に至ってはそれさえ載っていないようです。この一ヶ月間に「盧溝橋事件」でヒットする記事はこれだけです。

mainichi.jp

ロシアによるウクライナ侵略の手法が日中戦争を思わせると指摘され、毎日新聞自身も「ウクライナは「満州国」に? 中国近現代史家が憂えるいつか来た道」と題した広中一成氏のインタビューを掲載しているのに、です。

9月18日はどうなるでしょうか。

歴史修正主義のために失われた機会

nordot.app (アーカイブ

上記記事に在中ウクライナ人のこのような体験が紹介されています。

(……)ただ彼女の周りの中国人はウクライナへの同情を示してくれたという。「プーチンの手法が、かつての日本の中国侵略を思い起こさせた」ためだ。実際、ロシアの侵攻をそう捉える中国人もいる。それでも「反米」が優先され、国内でロシア批判の声は上げにくいのが実情だ。

プーチン・ロシアの手法が大日本帝国のそれに類似していることについてはすでに複数の指摘があります(例えばこれ)し、当ブログの読者の方々ならそうした指摘を待つまでもなく類似性を感じられたことと思います。

もし歴代の日本政府がアジア・太平洋戦争の侵略性を率直に認めてきたとしたら、ロシア・ウクライナ戦争に関して日本政府にどんなことができたか……。ロシアの手法が日帝のそれに類似していることを中国政府に対して公然と指摘することで、中国政府にプレッシャーをかけることができたはずです。国際社会に向けても、また中国の市民にも(できる限り)届くようにそうしたメッセージを送ることで、中国はいま以上にロシアから距離をとることを強いられていた可能性は高いでしょう。

でも自民党がその可能性を念入りに潰してきたのです。

 

受忍論を拒否せよ

神戸連続児童殺傷事件から25年ということで放送された関連ドキュメンタリーを2本見ました。

www.ktv.jp

www.ntv.co.jp

いずれも今年に備えて何年にもわたって取材を続けてきたことがわかる内容でした。ただ、二つの番組を見ながらどうしてもあることが気になって仕方ありませんでした。

どちらの番組でもとりあげられていたのが、加害者から被害者遺族に送られてきた手紙が数年前から途絶えていることです。殺害された男児の遺族も女児の遺族も納得のゆく説明や謝罪がないままに手紙が途絶えたことにやりきれなさを感じており、番組はそうした遺族の気持ちに寄り添っています。

しかしその一方で、私たちは「いつまで謝らせれば気が済むのか」と言い募る「加害者」の存在をよく知っています。納得のゆく説明や謝罪を受けていないという気持ちは同じでも、そうした被害感情をいだき続けていることをなじられる被害者・被害者遺族がいることを知っています。

私はこのブログを始めたころからずっと、刑事犯罪の被害者に対するこの社会の態度と、戦争の被害者に対するこの社会の態度との鮮明すぎる違いに関心をいだき続けてきました。この違いが狭義の歴史修正主義的な動機だけで説明できないことは、日本の空襲被害や沖縄戦の被害に対しても「いつまで言ってるんだ」「カネ目当てだろう」といった誹謗があることで明らかです(もちろん、刑事犯罪の被害者・被害者遺族に対する攻撃を引き起こすトリガーがあることは事実ですが)。この問いへのはっきりした答えを手にしたわけではありませんが、為政者が振りかざす「受忍論」のロジックを内面化していることが一つの要因なのだろう、という感触は得ています。「多くの人間は“戦争だから仕方ない”と諦めているじゃないか。なぜお前はことを荒立てるのか」、と。

しかし戦争は自然災害ではありません。刑事犯罪と同じく、人間の為すことです。戦争指導者を免責するための「受忍論」など拒否すべきなのです。