この際だからはっきりさせておくと…
※「党派的」構図をつくり出したのは誰か、「数」にこだわる欲望、などについて
え〜、『ホテル・ルワンダ』のパンフレット論争についてはいまだにこことかここで続けております。ブログ主のお二人、特に E-Sasa さんには根気よくおつきあいいただいているのでその点についてはお礼申し上げるとして、お二人に共通する finalvent氏批判派(私を含む)との認識のズレがみられるようなので、すでにコメントしたこととも重複するが改めて書いておきたい。
お二人とも「町山氏批判が目的ではない」ということを強調しておられるわけだが、finalvent氏のエントリをめぐる議論について言えば、氏が町山智浩氏を「批判」し、パンフレット原稿の最後の一行について
私はこうした言及を安易に聞き流していいのだろうかと自問した。 よくないと思う。 (ttp://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060304)と書いたのが出発点である。ルワンダの虐殺と関東大震災時の朝鮮人虐殺が「同じか、違うか」も「最後の一文はあってもよかったのか、ない方がよかったのか」という文脈で問題にされたのであり、しかもこれについて finalvent氏は
個々人の倫理を問うことで、ダルフール危機(ジェノサイド)は制止できるとでも思っているのか。などと、対立する主張を論争当事者のだれ一人として主張していない極論に矮小化するというきわめて党派的なふるまいをしているのである。町山擁護派の主張は“あの一文は『ホテル・ルワンダ』という映画の、特にキャスティングに込められた監督の目論見の解説としては十分正当化される”というものなのであって、『ホテル・ルワンダ』という映画全体があの視点からのみ語り尽くせるとか、ましてやルワンダ虐殺という事件が「ポールさんのようにならねば」という観点からのみ理解可能であるなどと言うものではない。このように、他ならぬ finalvent氏によってつくりあげられた党派性のつよい土俵になんの前置きもなしに上がれば、町山批判ではないと理解せよといわれても無理なんであって、問題の一文の評価をめぐる議論の文脈からはっきりと切断するための手続きをとってもらわないと。
また、私を含む幾人かの論者が finalvent氏のエントリに「歴史修正主義」的欲望を見いだしたのは、一方でルワンダ虐殺と関東大震災時の朝鮮人虐殺との「違い」を強調しつつ、他方では自らの意図を「(日本の)子どもたちをアウシュヴィッツに送らないため」などと述べているからである。ナチス時代のヨーロッパと現在の東アジアの「違い」を無視してアウシュヴィッツという「シンボル」を用いる人間が、正しい歴史認識のためにはルワンダ虐殺と朝鮮人虐殺を区別せねばとか、関東大震災時の虐殺を「シンボル」として用いるのはおかしいなどと主張しても、そんなものを真に受けられるはずがないではないか。もし町山氏を批判するのなら、finalvent氏は同時に『日本人とユダヤ人』の著者たる偽ユダヤ人も批判してしかるべきだったのである。こうしたダブルスタンダードから露呈しているのは、この場合彼が主張する「歴史的検証」なるものが、要するに「祖父母・曾祖父母の罪」を免除したい(軽減したい)という目的に奉仕するものに他ならない、ということなのである(よりによって「通州事件」をひきあいに出した点についても同様)。
もちろん、原理的に言って「歴史的検証」の対象となってはならない出来事などない。しかしながら、あらゆる「歴史的検証」は政治的な含意を持つ。政治的な含意のゆえに歴史的検証が歪められてはならないが、他方で歴史的検証がもつ政治性に目を閉ざしてあたかも“政治的に中立な議論”をしているかのように思い込むのも欺瞞でしかない。『ホテル・ルワンダ』パンフレット論争においては、「歴史的検証」をもとめる声は明らかに「関東大震災時の朝鮮人虐殺に触れて欲しくない」という欲望を満たすために機能したのである。
歴史修正主義は常に“非政治的で客観的な歴史研究”であるかのように自称するが、実際には非政治的でも客観的でもなく、また多くの場合歴史学的でもない。例えば、日本の近代史について言えば日本(軍)による犠牲者の数を下方修正しよう1)、言われているほど日本(軍)には責任がなかったことを明らかにしよう、という方向性での「歴史的検証」なるものが目立つ(というか、そういうものばっかり)なのがその証左である。関東大震災時の朝鮮人虐殺については歴史的な検証が必要…なるほど結構なはなしである。しかしその「検証」が常に「犠牲者は6千人もいなかった」というヴェクトルをもつのはなぜなのか? なぜ特に数字に執着するのか? 犠牲者数はともかくとして、殺害された一人一人の死に「寄り添う」ような「検証」を彼が考えもしないのはなぜなのか?
私について言えば、正直なところ犠牲者の「数」は二次的、三次的な問題でしかない。そりゃあ、事件そのものの性格を変えてしまうほどに犠牲者数の実態が違う、というならはなしは別であるが。例えば関東大震災時の朝鮮人虐殺について言えば、事件が「朝鮮民族の根絶を狙ったジェノサイド」でもなく、かといって「混乱時のアクシデント」でもないという実態に合致した数字である限り、犠牲者数がどう変わろうが関東大震災についての私の理解を変えることはない。南京事件について言えば、通常の戦闘に伴う付随的被害とは言えないだけの犠牲者が出たのであれば、その数が4万であっても20万であっても私のこの事件についての理解は変わらないのである。関東大震災時に虐殺された朝鮮人の犠牲者が6千人ではなく600人だったのだとすれば、それは確かに喜ばしいことであろう(ちなみに、私の高校当時の歴史教科書にどのような記載があったかは、さっぱり覚えていない)。差分の5千400人は死なずにすんだか、少なくとも虐殺されずにすんだのだし、他方で「祖父母・曾祖父母」が犯した罪の数も少なかったのだから。しかし数字が6千から600人になっただけでは、われわれが一人一人の死に「寄り添えていない」ことにはなんの変わりもないし虐殺をとりまく「構造」が明らかになったわけでもないのである。もし犠牲者が本当は1万2千人だったのだとすれば、これは痛ましいことである。なにしろ、これまで言われていたよりもはるかに多くの人々が虐殺されたのであり、またわれわれの「祖父母・曾祖父母」が犯した罪の数も多かったということになるのだから。しかし数字が6千から1万2千に変わっただけでは、やはりわれわれが一人一人の死に「寄り添えていない」ことにはなんの変わりもないし虐殺をとりまく「構造」が明らかになったわけでもないのである。
例えば加害者側に個人としての責任が問われているとか、被害への補償が問題にされている、という文脈であれば正確な数字にこだわるのももっともである。しかしながら、関東大震災時の朝鮮人虐殺や南京事件はそうした性格の問題ではない。であれば、事件そのものについての理解を揺るがすような修正がもたらされるのでない限り、「数」にこだわることになんの意味があるのだろうか(それよりもっと重要なことはあるだろう)。例えば関東大震災時の朝鮮人が本当は600人だったとして、それで日本の評判がよくなったりするのだろうか?(反対に、実は1万2千人だったとしても、それで日本の評判がいまさら悪くなるというわけでもあるまい) もちろん、犠牲者数が600人程度というのが歴史的真実だ、というのであればそれを追求する努力を阻害するつもりも侮蔑するつもりもない。しかしそのためには、「祖父母・曾祖父母」の罪を免除・軽減したいという欲望からその追求が行なわれているのではないことを明らかにするようつとめる2) のでなければ、結局のところ日本の国益を損ねるだけである。南京事件についても「バターン死の行進」についてもまったく同じことが言える。警察が退去勧告をしてまわったから城外は無人「だったはずだ」とか、「下痢の私でも歩き通せたから悪いのはアメリカ軍だ」といったこども騙しの理屈3)で犠牲者数や日本(軍)の責任を“値切ろう”とするのは犠牲者への冒涜であるのはもとより、よくて海外からの失笑を買い悪ければ憤激を買うという、きわめて「反日的」なふるまいではないのか?
- では「サヨク」による「歴史的検証」は犠牲者数を増やそうという欲望に基づいているのか? 南京事件に関して今の日本で最大の犠牲者数を主張している笠原十九司の推定は、南京軍事法廷や極東軍事法廷の認定と事件の「範囲」「期間」をそろえるなら、両戦犯裁判での認定犠牲者数(それぞれ約30万、20万)よりずっと少ないことに留意されたい。
- 『ホテル・ルワンダ』パンフレット論争に関して言えば、町山氏の最後の一文を削除させようとする欲望とは明確に切断されるべきだった。
- 歴史修正主義のもう一つの特徴は、被害の証明に関してきわめて厳格な、それこそ刑事裁判並みの基準を要求することである。先にも述べたように、個人責任の追及や補償が問題になっている文脈であれば「疑わしきは加害者側の利益に」という原則をとるのも妥当であろう。しかし「歴史的検証」の原則としてそれが妥当であるとは到底言えまい。関東大震災や南京陥落といった混乱時に起こった事件について、刑事裁判並みに厳格な「被害の証明」を要求すれば、その結果は「歴史の真実」からはかえって遠ざかってしまうだろう。
(初出はこちら)