浅見定雄の山本七平批判


id:finalvent 氏が依拠する山本七平について。
浅見定雄、『にせユダヤ人と日本人』、朝日文庫


finalvent 氏が引用した山本七平の文章は、『日本人とユダヤ人』の「しのびよる日本人への迫害―ディプロストーンと東京と名誉白人」と題する章に収められている。この章について浅見定雄は次のように述べている。

 いちばん憂鬱な章にかからねばならない。いま私は、この本のためのすべての原稿の最後に?「あとがき」の原稿よりもあとに?重い気持ちで、この十二章にとりかかろうとしている。
 何がそんなに憂鬱か。私たち「日本人」にとって、架空の「ユダヤ人」などより何千倍も身近な隣人である韓国・朝鮮人について、このくらい陰湿な詭弁を読んだことがないからである。単純な無知ゆえの偏見の方が、まだ救いようがあると思えてならない。
(115-116頁)

これ以降を紹介する前にお断りしておくが、私はかつて(角川文庫版の)『日本人とユダヤ人』を所有していたし、いまでも自宅の段ボール箱のどれかにはいっているのか、それとも古本屋に売ってしまったのか、それすら覚えていないが、『にせユダヤ人と日本人』を読むより前に『日本人とユダヤ人』を読んでいた。『にせユダヤ人と…』を読む際にはいちいち『日本人とユダヤ人』とひき比べつつ読んだが、その結果『日本人とユダヤ人』は再読に値しない本であるという結論を下した。
以下の引用文中、傍点は強調(ボールド体)に変えてある。「傍点」とある部分は「強調(ボールド体)」と読み替えていただきたい。また、漢数字で記されたページ数は浅見定雄が引用した『日本人とユダヤ人』のページ数を、アラビア数字で記されたページ数は私が引用した『にせユダヤ人と日本人』のページ数をさす*1。〔 〕内の引用者注は浅見定雄ではなく、私による注。ややこしいがご注意願いたい。

(前略)ベンダサン氏によると、およそ迫害というものは、ユダヤ人にせよ華僑にせよ、すべては彼らが寄留地で頼りにしていた権力が崩壊するときに発生する。(…)
(中略)
(…)つまりユダヤ人も華僑も、それまでの権力の庇護の下に、アコギなやり方で現地の大衆をしぼり、甘い汁を吸って恨みを買っていた。だから彼らを保護する権力が崩壊したとたん、彼らは当然大迫害を受けたのである。今や日本はそれと同じである。(…)
(中略)
 さて、ベンダサン氏の「迫害」論の根拠はほかにもある。いくつか引用してみよう。
 その一 「以上述べたことが、迫害の類型的なパターンと共通的な原因であるが、もちろん、原因はこれだけではない。これ以外に、まさに動物的本能に由来するともいうべき、非常に原始的な(ということは、理論や理屈では解明できない根元的な)原因がある。異民族の体臭というものは、ちょうど動物が他の動物の体臭に本能的に牙をむき出すのに似た作用を、人間という動物にも与えることは事実である」(一八六頁、傍点のみ私)。

歴史的な出来事の固有性にこだわっておられた finalvent氏であるが、山本七平は必要とあらば「迫害の類型的なパターン」について語ることを厭わないようである。


 このあと、「その二」では、「私の日本人の友人K氏」がシカゴ大学留学中に一人のユダヤ人を含む学友たちと旅行に行き、さるホステルに泊まろうとしたところ「そこの主人がこのユダヤ人に、お前はユダヤ人だからとめてやらないと言った。K氏は彼の外観が他の人びととほとんど区別がつかないので不思議に思い、その主人にたずねたところ、『いや、においでわかる』といったという」というエピソードが語られ(119-120頁。ちなみに浅見氏によればこの部分は『日本人とユダヤ人』の英訳(笑)ではそっくり削られている)、「その三」では次のような引用が行なわれている。
金嬉老事件のあった直後、山本書店店主〔引用者注:山本七平のことである(爆)〕と二人でタクシーに乗った。ところがその運転手が……『外人づれのダンナらしいから、こりゃと一瞬思いましたがね、だが朝鮮人じゃないから……』という。『朝鮮人なら乗せないのか』と山本氏〔引用者注:『ユダヤ人と日本人』の著者のことである(爆))。『そりゃあ、いきなりうしろからライフルをぶっぱなされちゃ、たまらへんもんね。――おことわりですよ』と運転手。そのとき私が口をはさんだ。『私には朝鮮人と日本人の区別はつかないが、運転手さんには区別がつくのですか。』運転手は言った。『だんなは日本語がうまいねえ。おれよりうまいぐらいだな〔引用者注:そりゃそうだよな(爆)〕。わかりますよ。なんとも言えぬにおいですよ』」(一八七頁)。 (120頁)
この二つについて浅見定雄が付したコメントはそれぞれ
それにしても不思議なのは、K氏に対するホステルの主人の反応である。教養あるユダヤ人学生の「におい」までかぎ当てたこの主人がどうして、自分の肌の黄色も悪臭も忘れてあつかましい質問をしかけてきたこの嫌らしい「ジャップ」K氏のにおいを我慢できたのであろうか。また、この「実話」を得意げに書いたベンダサン氏〔引用者注:自称ユダヤ人である〕とそれを訳した〔引用者注:ということになっている(笑)〕七平さんも、一見したところ一心同体のようだが、実は内心すさまじい嘔吐を感じ合っているのに違いない。  またこの運転手もおかしい。黄色い人間同士のにおいには驚くほど敏感らしいのに、白人ダンナの「バタ臭い」(一八六頁)においは全然気にならないらしい。
というものである。次がいよいよ関東大震災に言及した「その四」。
 その四 (以下傍点とかっこの中は私〔引用者注:浅見定雄のこと〕)関東大震災のときに、日本人が朝鮮人を虐殺したのは、「まさに『動物学的迫害』ともいえるもので……日本人の場合にはこの要素のみだとも言いうる」(一八九頁)。従って、「だれかが意識的に(朝鮮人が襲って来るとか井戸に毒を入れたとかいう)デマを飛ばしたのか――私にはどうしてもそう思えない」(一九〇頁)。ただあの時、だれでも水に困った。朝鮮人も困ったので、「おそらく近郊の農家の井戸に群がり集まって、つるべで水をくんで飲んだでしょう。これは日本人でも同じです。だが、これを見たその農家の人はどうだったでしょう。服装もちがう、言葉もわからない。そして体臭のちがう人びとが(浅見、どうやって臭いをかいだのか?!)大挙して自分の家の庭先に来て、今あったばかりの恐怖に上気して大声を出しながら井戸にむらがって水を飲んでいる。たとえこの人たちがお礼を言ったにしても、聞くものには何か恐ろしげな言葉に聞こえたでしょう」(一九二頁)。これがベンダサン氏の聞いた「物静かな」「日本人……御母堂」の推測話である。 (121頁)
こんなことを書く人間を支持する人間が、関東大震災時の朝鮮人虐殺について史実を徹底的に追及せよなどと主張する(というか、行きがかり上主張してみせる)のは茶番としか言いようがない。ちなみに、私には学生時代に在日韓国・朝鮮人の友人もいたし、韓国からの留学生とも知りあいになったこともあるが、「におい」で韓国・朝鮮人であるとわかったことなど一度たりともない。山本七平が生きていたら、「最近の韓国人はあまりキムチを食べないからだ」とでも言い訳するのだろうか。

 そして最後に「その五」である。
 その五 もうひとつでおしまいにしよう。「これに加えて絶対に忘れてはならないことがある。朝鮮人は口を開けば、日本人は朝鮮戦争で今日の繁栄をきずいたという。この言葉が事実であろうと、なかろうと、安易に聞き流してはいけない。……たとえこれが事実であっても、これは日本の責任ではないし、日本が何か不当なことをしたのでもない」(一九五頁、傍点は私)。 (123頁)
へぇ。山本七平氏にとっては「事実」かどうかは関係ないらしいですよ。やれやれ…。


(初出はこちら

*1:その後、古書店で『日本人とユダヤ人』を入手した。というわけでニセユダヤ人からの引用については角川文庫版で再確認しておいた。