小熊英二、「小熊英二さんと考える ナショナリズムの今」(あるいは左翼の「賭け金」とはなんであったか)


「追記するかも」とあらかじめ予告してましたんで、どこを加筆したかいちいち明示しません。あと、書き終わってみたらタイトルの記事にはほとんど関係のないはなしになってしまった(小熊英二の過去の仕事にはしっかり関係しているけど)ので、その記事についての感想、論評等を期待された方はどうか読み飛ばしてください。

以前にとりあげた宮崎哲哉のコラムが掲載された数日後の5月11日の朝日新聞朝刊に、小熊英二へのインタビューが掲載されていて、内容的にはその前の数日間にとりあげたトピックと関連していたわけだが、「まあ前から言ってることと同じだな」というのと「これもどうせなら読売に載って欲しかったな(その方が有意義だったろうな)」という理由とで、スルーしてしまっていた。
というわけですっかりタイミングを逸してしまっているわけだが、このエントリで問題にした「左翼の賭け金はなんであったか」という論点に関わる点について、ちょこっと書いておこうかと。まあ問題のインタビューには実はそれほど関係ないんだけど、朝日にああいうものが載るときっと「左翼はナショナリズムを全否定するからけしからん」とかいった反応がありそうなので、ということ。


ナショナリズムの起源(の少なくとも一つ)はフランス革命に遡るのだからナショナリズムは本来左翼的だ…というのは戦後日本の文脈から遠くなっちゃうからおいておくとして、左翼のナショナリズムに対する態度にせよ、戦争責任問題に対する態度*1にせよ、

  1. 敗戦〜占領初期
  2. 逆コース〜講和
  3. 60年安保
  4. 大学紛争、ベトナム反戦運動
  5. 中曽根内閣以降

くらいには区分して考えねばならないと思う。まあどうしてもこの5つに固執するわけではなくてもう少しおおざっぱな、あるいは逆に細かい区分でもいいんだけど。で、「左翼=ナショナリズム否定」という現象*2 とかアジアへの戦争責任が左翼の主要な「賭け金」になったというのは、基本的に5)の時代になってのことだ、と。いくつか断片的に根拠を羅列すると(詳しいことはそれこそ『<民主>と<愛国>』とか、吉田裕の『日本人の戦争観』でも読んでください、ということで)

なんてのが思い浮かぶ(ついでに、憲法9条による戦力放棄には当初左翼から強い反対があったこと、を付け加えてもよい)。5)が転機になっているのは、要するに戦後の日本における左右の対立軸は、冷戦時代の日本の特異な位置に大きく規定されており、その枠組みが揺らいだのが5)の時期だということ。他に、中曽根政権がきわめて国家主義的・タカ派的な姿勢をとっていると(左派から)評価され、それが左翼をアンチ・ナショナリズムに向かわせた、ということもあろう。現在ならネオリベないしネオコン的なものへの屈折した*3 反応としてアンチ・ナショナリズムがある、と。歴史教科書や首相の靖国参拝外交問題化したのが中曽根内閣成立の直前〜中曽根の在任中であったことが示すように、アジア諸国が「冷戦」という枠組みを気にせずに戦争について語るようになった、ということもある。アカデミズムの世界でもこの時期に国民国家を相対化するような議論がこの時期に流行った(『想像の共同体』の原著初版もホブスボームらの『創られた伝統』の原著初版も83年)こと、ポスト・コロニアル研究の流行なんかも無視できない要因であろう。
まあたしかにある時期、アンダーソンという印籠をもちだして「国民国家マボロシ!」で一件落着、みたいな雰囲気があったことは否定しない。しかしこれは「右か左か」の問題というよりは、有望そうな理論が現われた際のアカデミズムの反応としてよくあるはなしだろう。同じような時期だと例えば「ゲーデル不完全性定理」がやはりマジック・ワードになったりもしたし。最近では(グローバライゼーションとのからみもあって)そういう議論のしかたは(バカをのぞけば)しなくなっているし、他方でアンダーソンの業績は「解放のナショナリズム」にも左翼が批判的な視点を持つようになるきっかけになったというメリットもたしかにあったと思う。国民国家やその「伝統」を「自然」と思い込む別種のバカに対してアンダーソンやホブスボームの議論がいまでも十分有効である、というのは言うまでもないし。


要するに言いたいのは、まず第一に「左翼は戦後一貫してナショナリズムに否定的だった」とか「アジアへの戦争責任を左翼は戦後一貫して追求してきた」とかは、左翼が自慢として語るにせよ右翼が非難するために語るにせよ、事実に反しているということ。第二に、それゆえナショナリズム批判は左翼の本性でもなんでもなく、ポスト冷戦時代の状況への対応であるということ。例えば日本の文脈においては、戦前の日本のナショナリズムを全肯定しようとしたり、そこまでいかなくても「十五年戦争のことはなかったことにしてもらえないかなぁ」的な願望をダダ漏れにする人間が一方にいてこそ左翼のナショナリズム批判もあるわけで、そうした状況から目を背けてもらっては困る、と。



(初出はこちら

*1:それを「賭け金」としていたかどうか、またその「責任」が国民に対してのものかアジア諸国に対してのものか連合軍に対してのものか、など。

*2:全ての左翼がそうだったとは思わないが、左翼自身の意識としても多分にそういうところはあった(ある)。

*3:ネオリベの「ナショナリズム」との関係が複雑である分、左翼の反応も複雑にならざるを得ない。