河村たかし議員(民主)の質問主意書

南京事件についての政府見解を引き出した質問主意書の内容


先日コメント欄で Hawk さんからご紹介のあった、南京事件に関する政府の最新の見解
 政府は22日の閣議で、日中戦争中の南京大虐殺について「旧日本軍による南京入城後、非戦闘員の殺害または略奪行為などがあったことは否定できない」との答弁書を決定した。同様の見解は外務省のホームページにも掲載されている。  答弁書は「外務省として当時の関係者に直接聞き取り調査を実施したことは確認されていない」としながらも、「これまで公になっている文献などから総合的に判断すれば、否定できない」と指摘。  ただ中国の南京大虐殺記念館に展示されている当時の「写真」については「事実関係に強い疑義が提起されているものが含まれている」と同記念館に指摘したことを明らかにしている。
だが、質問主意書を出したのが民主党河村たかしということで、従来の見解を再確認させることを目的とした質問なのだろう、と思っていたら…takashi-kawamura.com にあるこのページをみてびっくり、あわてて衆議院のサイトで当該の質問主意書を確認してみると…こりゃ大変だ!

 歩兵第一〇一旅団指令部伍長であった私の亡父、河村■*1男(かねお)は、昭和二〇年八月一六日に武装解除されていた南京に到着し、南京市郊外の棲霞寺に翌二一年の一月まで滞在、同年三月に帰国した。同寺には司令部の約二五〇人が滞在していたが、彼の地で大変手厚く遇され、生き永らえることが出来たと感謝していた。
 そこで、戦後五〇年となる一〇年前、当時の戦友たちは、当時の南京市民のもてなしへの感謝の気持ちとして、寄付金を募り、南京市に一千本の桜を寄付し、体調の悪い父に代わり母が訪中した。その母も昨年一〇月亡くなった。
 彼の地において大虐殺が行われていたのであれば、そのわずか八年後にこのような心温まる交流が実在しえるとは思えない。そこで、いわゆる南京大虐殺事件について再検証すべきではないかと思うに至った。
(中略)
二 今日までの間に研究が進み、新たな史料が発掘されている。例えば、先月、亜細亜大学東中野修道教授が出された『南京事件 − 国民党極秘文書から読み解く』は、戦争相手国であった中国国民党政府の中央宣伝部の極秘文書をもとに南京事件を解明している。同書には、これまで長い間南京大虐殺の動かぬ証拠と見なされてきた市民虐殺の告発本、ティンパーリ編『戦争とは何か』は、国民党中央宣伝部の制作した宣伝本だったことが、国民党の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝工作概況』の中に明記されていること、また、極秘文書の『中央宣伝部国際宣伝工作概況』(一九四一年)によれば、戦争相手国だった中国国民党政府は日本軍の市民虐殺と捕虜虐殺を指摘すらしておらず、むしろ否定していることが示されている。さらに、毎日のように開かれていた国民党中央宣伝部の記者会見でも南京大虐殺は話題にすら上っておらず、従って、アメリカ合衆国政府はもとより、国民党中央宣伝部でさえ南京大虐殺を極秘文書のなかで非難していないことが示され、そもそも、南京大虐殺の源流となったのは、虚偽の新聞報道であり、戦争プロパガンダ本のティンパーリ編『戦争とは何か』であったと喝破されている。
(中略)
六 前述の東中野教授の著書、『南京事件証拠写真」を検証する』では、南京大虐殺証拠写真として通用するものは一枚も無かったとの研究成果がまとめられているが、中国政府は南京事件記念館にそれらの写真を展示している。そのことに対して日本政府はどのように考えているのか。またどのように対処しているのかご教示いただきたい。
(後略)


う〜ん、合同結婚式に祝電送っちゃうような議員ならともかく、ここまで東中野修道プロパガンダが浸透しているとは…。とりあえず東中野メソッドについては青狐さんのこちらをご参照ください。また『南京事件証拠写真」を検証する』については、そもそも南京事件があったという主張は、ほとんどと言ってよいほどいわゆる「証拠写真」には依拠していない、ということを指摘すればその無意味さが知れよう。
問題は冒頭部分である。例えばある在日朝鮮人が「私は日本に暮らしていて大変手厚く遇されている、だから拉致問題など存在しないのだ」と主張したとして、そんな主張が通るだろうか? 河村議員の父親の体験は、南京市民が 1) 私的復讐を思いとどまるだけの思慮分別をもっていた、2) 直接の加害者と、その加害者と同じ集団に所属している人間とを峻別する思慮分別をもっていた、3) 敗者への寛大さを備えていた、などと考えれば十分説明がつくのである。「拉致被害者救う会」のメンバーが「じゃあこっちも総連のメンバーを誘拐してやれ」などと言いださないのと同じことである。逆に、引き揚げに際しての苦労を恨みに思っている日本人も少なくないわけだが、「私の父は中国人に殴られた、だから南京事件はあったのだ」と誰かが主張したら河村議員はどう答えるのだろうか?
個人の体験は歴史のほんの断片に触れているにすぎない。それが歴史の一部であることはたしかであるが、だからといって一つの断片から直ちに全体像を押し計るわけにもいかないのである。



(初出はこちら

*1:金偏に心。