「伝聞ばかり」? とんでもない!

小倉弁護士のこのエントリなどをうけて書かれたと思われる*1 id:Schwaetzer 氏のこのエントリのコメント欄。南京事件を「否定しているわけじゃない」と主張する id:ko-u2006 氏がこうおっしゃっている。

(…)南京事件そのものは、あったと思われるのに、内容は結局詳細不明でしょ?殆どが伝聞で、しかも、ほかに説得的な第三者証言があるわけでも、間接事実があるわけでもないんですが?(…)

(…)
肯定説を裏付けるような話が、間接証拠として挙がっていない、或いは信憑性のない、伝聞だけで、物事判断するわけにはいけないと思うんですが?
(…)

まあそもそも私は「あんた否定論者だろ?」と言ったわけではなくて「否定論者の本しか読んでないんじゃない?」とコメントしただけなのだが、否定論者でもないのに「伝聞だけ」などという認識を持っているところがかえって不思議というか、困ったものだと思うのである。一般論として想像するに、南京事件については教科書の記述や政府の公式見解程度のことしか知らなかったところへさして否定論言説に触れ、さすがに否定論を鵜呑みにするところまではいかなかったけど影響はされちゃった…という場合に、こういう「あったんだろうけど伝聞ばかり」という認識が成立するのだろう。


というのも、手軽に新書で読むことのできる「虐殺あった」論の文献、秦郁彦の『南京事件』(中公新書)か笠原十九司の『南京事件』(岩波新書)でも読んでいれば、「伝聞ばかり」などという認識は抱きようがないからだ。ネット上にも

南京事件 小さな資料集
南京事件資料集
南京事件の真実
南京事件資料館

といったリソースが存在しており、旧日本軍の戦闘詳報、将校や兵士の陣中日誌、戦後に書かれた手記など、「虐殺を目撃した」「捕虜を殺害した」という証言がいくつもあることを知ることができる。とかく話題にされる「百人斬り」にしても、その実態が「据えもの斬り」だったことについては部下の目撃証言がある(さらに、本人が「据え物斬りだった」と語ったとする志々目証言を裏付ける証言を秦郁彦が聞きとっていたことについてはこちらを参照)。なにしろ、ほかならぬ『偕行』が、南京事件を否定する目的で証言を募集したところ、もっとも少ない推定でも3千人を不法に殺害したことを認めざるを得なくなるという結果になっているのである(別に中帰連の元兵士・将校だけが虐殺について証言しているわけではない)。

また、国際難民区にとどまっていた外国人たちは、主として城外で行なわれた虐殺を直接目撃する機会こそほとんどなかったものの、強姦、婦女子の拉致、略奪の現場を目撃したり、死体を目撃したことを証言、ないし書き残している*2。さらにスマイス報告と「岡村寧次大将陣中感想録」。これらはいずれも目撃証言、体験談ではないけれども、前者はアメリカ人社会学者が、後者は日本軍の高級将校が事件の直後に行なった調査の記録である。これらを「伝聞」というカテゴリーに押し込めてあたかも噂話程度の信憑性しかないように扱うのであれば、そもそも歴史学などは不可能になってしまうだろう。
「間接事実」ということで一体なにを考えているのかよくわからないのだが、紅卍字会南京分会らによる死体埋葬記録はどうか。計数の誤りの可能性、戦死か不当な殺害かの区別がなされていないことなどを差し引いても、日本軍が承知していた埋葬活動で膨大な数の死体が埋葬されたことは否定できないのである。私が知るかぎり、当時の日本軍が「そんなに死体があるわけない」とクレームを付けたという事実はない。


もう一人、コメント欄で先陣を切っている id:sakimi 氏の方はといえば、こりゃもうまるきり否定論者の手口だ。

歴史上最大のミステリー
日本刀で100人斬り殺せるほどの戦闘力をもち、銃剣と単発銃のみで40万人殺すなど原爆以上の破壊力を持つ携行兵器を誇り、各植民地で無駄に現地人を殺してまわるほど武器弾薬が余っていて、揚子江の川幅を2m以下にしたりするほどの高い土木技術を持ち、沖縄で米軍上陸後も市民に玉砕命令が出せるほど命令系統がしっかりしていて、日本兵の数を上回るほどの従軍慰安婦を一日に一人あたり何十人も暴行するほど体力と食料があって、開戦前からオランダ占領時のインドネシアにも日本軍用の慰安婦を送り込むほど 先見性があり、(…)11歳が戦場で暴れ回るほど若い内から逞しく、終戦後になぜか強制連行を 行いまくるほどの軍備と余裕があり、圧倒的科学力を誇る朝鮮の反日勢力になぜか圧勝するほど運がよく、朝鮮人を殺しまくりながら人口を2倍にするという魔術を持ち、敗戦国でありながらGHQを手玉にとって朝鮮戦争を起こすようコントロールするほど政治力と外交能力に長けた日本が敗戦したことは歴史上最大のミステリー

あまりにもくだらないので途中を省略した。「11歳が戦場で暴れ回る」はテロップの誤植をそのまま鵜呑みにした例のやつだと思われるし、「GHQを手玉にとって朝鮮戦争を起こすようコントロール」というのは例のにせユダヤ人を思い起こさせる。と、ガセが混じっていることをおいておくとしてもこの「印象操作」はくだらない。日本軍が「強そうに見える」ケースばかりを拾いだしているだけだからだ。石油備蓄量やら工業生産力やら戦略を欠いた無責任な作戦やらを考えれば日本が負けたのは至極当然である。「慰安婦」への言及のしかたはこの人物の人権感覚をうかがわせてあまりあるが、そもそも日本軍が組織的に慰安所設置にかかわったのは旧日本軍の前近代的な体質の現われなのである。動員体制がしっかりしていたなかったため交代・休暇制度がなく、兵士の自発性に期待できないため内務班での締め付けに頼り、その結果が軍紀の弛緩による強姦の多発であり、その対策としての慰安所だったのだから。
もうひとつ。

それ以前に無かったことの証明は悪魔の証明であって不可能です。

これについてはすでに書いたように、決して「悪魔の証明」ではない。「南京事件はなかった」と表現するからそう思えるだけで、「南京事件はなかった」のなら南京市民の大部分は1937年の冬を生き延びたのだし、中国兵はみな戦死するか生き延びたわけである。以上のことを証明すれば実質的に「南京事件はなかった」ことを証明できる。



(初出はこちら

*1:id: Schwaetzer さんのエントリ中に小倉弁護士のエントリへの明示的な言及はないが、前者のコメント欄で後者のコメント欄への言及がある。

*2:さらに、難民区の外国人たちは「他の中国人とともに殺されかけたが九死に一生を得た」「夫(息子)が連れ去られて帰ってこない」「父親が殺された」といった類いの訴えを聞き、可能な場合には裏づけをとるべく動いている。それこそ南京市民が組織的に「情報戦」に参加していたのだと仮定でもしないかぎり、これらを「単なる伝聞」として斥けることはできまい。そんなことが可能なら、私にとって阪神大震災による死者はたった1名だということになってしまう。