これも「自称理詰め」?
私のこのエントリに対する thefort=ko-u2006 氏(以下、thefort 氏)からのレスポンスがきました。
言葉の使い方知らないだけで、ここまで文句をつけて繰るとは思いませんでしたよ
ついでに、くだらない陰謀論にも反論しておく
です。
誤解があるようなのですが、私が問題にしたのは thefort 氏の南京事件に関する認識であって、「伝聞」ということばの「使い方」ではないんですね。
多分、「伝聞」の使っている意味、が違うだけなんだと思うんですが、伝聞=又聞き或いは噂話という意味では使っていませんので、あしからず。僕がここで使っている、伝聞というのは反対尋問によるテストを経ない供述証拠について、全て伝聞証拠として扱っていますので。
私は法律について体系的に学んだことなどない人間ですが、いちおう単一のトピックとしてはロッキード裁判についてのエントリが最多であるブログを運営している人間なので、「伝聞」に「反対尋問によるテストを経ない供述証拠」という意味があることは承知しています。ただし、歴史学の文脈で「伝聞」がそのような意味で用いられるのは極めて異例なことだと思いますが。
まあこれはいいでしょう。つい自分に馴染みのある意味で「伝聞」を使ってしまった、と。しかしそうすると疑問なのは、いわゆる歴史的事実なるもののうち、「伝聞ではない、反対尋問によるテストを経ている供述証拠」に基づいてその実在が証しされているものがどれくらいあるのだろうか? ということです。言い換えれば、特に南京事件について「反対尋問によるテストを経ない供述証拠」という意味での伝聞ばかりだ、と主張することになにか意味があるのか? ということです。明智光秀が織田信長に対して謀反を起こし、信長を殺害したということに関する「反対尋問によるテストを経ている供述証拠」なんて私は知らないのですが。しかし本能寺の変を歴史教科書に記載することに異議を唱えている人間はいませんよね?(本能寺の変の「真相」についてあれこれ語る人物は後を絶ちませんが)。
他方、南京事件は軍事裁判や民事訴訟の対象となった出来事なので、実は「反対尋問によるテストを経ている供述証拠」が存在するんですね(これはホロコーストについても同様です)。南京軍事法廷については訴訟記録が公開されていないので詳細は不明ですが、東京裁判については検察側の証人に対して弁護側が反対尋問をおこなう機会がありました。尚徳義という中国人生存者の証言に対しては、弁護団は反対尋問をしませんでした(これがなにを意味するのか、thefort 氏はよくお分かりだと思います)。ベイツへの反対尋問はいわゆる「やぶ蛇」な結果に終わっています。このあたりは『現代歴史学と南京事件』(柏書房)の第四章をお読みになればよいでしょう。
供述証拠は、裁判上、反対尋問を経ない限り、証拠として採用されないん(原則としてではありますが)だから、当時の人間の証言が客観的な証拠として、信用性が置けるという状況が立証されない限り、そのままの状態じゃ、はっきり言って、伝聞以外の何物でもないわけです。まあ裁判基準を使うかどうかは別問題ではありますけど。
ええ、歴史学(歴史教育)に「裁判基準」を持ち込むのがそもそも問題なのですが、仮に「裁判基準」を持ち込んだとしたら、南京事件は「反対尋問によるテストを経ている供述証拠」がちゃんと存在している事例なのです。というわけで、このエントリの前半部分はまったく反論になっていません。
あったという証言があるから、あった、という訳じゃないでしょ?
「裁判基準」を自分で持ち込んでおられるのに、それを自分に都合のいいときにだけ使ってらっしゃる。すでに述べたように、南京事件については「自分たちがやった」という証言もある。公判で被告が「私がやった」と言えば、よほどのことがないかぎり判決の事実認定でもその証言が採用されますわな。あと、埋葬記録やスマイス報告、「岡村寧次大将陣中感想録」なんかは完全無視ですか。
さて後半です。
ちなみに、「南京事件はない」という人間に、立証責任を課すことはできませんよ?
どのような議論であっても、基本的には、存在する、と主張する側に、立証責任があるのが普通です。
これも間違いです。まず第一に、「南京事件はあった」とする側はすでに「立証」をおこなっています。軍事裁判と歴史学において。その後「否定論」が登場してきたのですから、反証する責任は「否定論」者の側にあります。
第二に、「南京事件はなかった」という主張は、「南京市民はすべて1938年3月(とりあえずの日付です)時点で生存していたか、日本軍に責任のない理由で死亡したかであり、中国軍兵士は戦死したか、生きて逃亡したか、捕虜として収容されていた」ということを意味します。「生存していた」というならそれを立証するのは「生存していた」とする人間の責任、「合法的に殺害された」というならそれを立証するのは「合法的に殺害された」とする人間の責任、です。
それはさておき、言葉の使い方、特に供述証拠に対して、伝聞というように使うのは、刑事訴訟法上の話ですから、それを知らないのは、別に構いませんが、こっちが肯定説に立っている、ということが分かっているのなら、伝聞という言葉が、違う意味で使っているのではないか?と頭を働かせても、良いのではないですかね?
私のブログをサイト内検索するか、「ロッキード裁判」というカテゴリに治められているエントリをざっと読むかしていただければ、私が刑事訴訟法上の「伝聞」の用語法について承知していることはおわかりいただけると思います。しかしそのような「伝聞」の用法を歴史学(歴史教育)の文脈に持ち込むのが不当であること、また仮にそうした用法を前提したとしても南京事件の証拠が「伝聞ばかり」だというのは間違った認識であること、をあわせて主張しておきます。
まあ、そこまで他人に要求するなと言われるかもしれませんが、いきなり入ってきて、言葉尻だけ捉えたんじゃね?
以上論じてきたように、問題は「言葉尻」ではなく、thefort 氏の歴史認識なのです。
次にこちらのエントリについて。
考古学馬鹿にしすぎていませんか?
別に、貴方に、考古学を馬鹿にする権利は存在しないと思うんですけど。
現代史学をバカにしているとしか思えない thefort 氏に言われたくはありませんね。私が古代史の研究者にどれだけ敬意を払っているかについては、例えば私のこのエントリをご参照ください。
「政治的にはそれで角が立たないから、政治的にはバランスが取れているのだ。」とか「虐殺は悪だ。戦争においては必ず虐殺が起きているに違いない。だから、南京事件もあったにちがいない」とか、反対に、「南京事件を否定することは日本の戦争責任を否定するものだ」とかいって、
まず「政治的にはそれで角が立たないから、政治的にはバランスが取れているのだ。」、「虐殺は悪だ。戦争においては必ず虐殺が起きているに違いない。だから、南京事件もあったにちがいない」については、私はそんな主張をした覚えはありません。「南京事件を否定することは日本の戦争責任を否定するものだ」についてはたしかにその通りだと思いますが、それは南京事件について少なくとも日本政府の公式見解を裏付けるには十分な証拠があるからです。
事実に対する客観的なものの見方を、政治的な主観的なものの見方に置き換えないで欲しいんですけど。
これは私が常々、南京事件否定論者に関して思っていることですね、まさに。thefort さんは否定論者ではないとおっしゃる。それについては了解しています。しかし南京事件を疑うなら他にいくらでも疑うべき歴史的出来事は存在するわけです。なぜとりわけ南京事件をピックアップしたのか?
で、そういう、一つ一つの証言やその信憑性を積み重ねて議論をするならともかく、
そういう、議論を積み重ねているとは思われない方に限って、
じゃあうかがいますが、あなたは「一つ一つの証言やその信憑性を積み重ねて議論」したうえで、南京事件の証拠は「伝聞」ばかりだ、と主張したんですか? 違いますね? あなたこそ「単に、「都合の良い」南京事件を作りたいだけなんでしょ?」
せめて、考古学並に、歴史研究・実証をした上で、さらに、裁判並に、供述に対する信憑性を考えた上で、論じても、問題はないのに、それすら、価値相対主義で拒否るんでしょうか?
「価値相対主義的に拒否」しているのは南京事件否定論者でありあなたでしょ? 私は南京事件の存在が「客観的」と言える水準で実証されている、と考えているのですから。
最後に
僕は、南京事件は存在していると思っていますよ。少なくとも、手元にある資料は、南京事件があったことを覗わせるに十分な資料であるし、供述証拠としても、信用できると思いますよ。
ですが、これはなにを意味するんですか? 南京事件の証拠は「伝聞」ばかりだ、という主張を撤回するということですか? だとすれば、日本の歴史教科書は南京事件の詳細には触れていないわけですから、なんら問題がないということになりますね。
(初出はこちら)