横浜弁護士会BC級戦犯横浜裁判調査研究特別委員会、『法廷の星条旗 BC級戦犯横浜裁判の記録』、日本評論社
大変興味深く読んだ。BC級戦犯裁判についてはさまざまな先行研究があるが、法律家が法的な観点からみて興味深い事例を選び、残された訴訟資料を検討した結果である本書には独特の意味があると思われる。
第1章が横浜裁判が開廷するに至るまでの歴史的経緯、第2章が横浜裁判の法的根拠など、横浜裁判について理解するために必要な背景知識を扱っている。第3章からが具体的な事例の検討となり、第3章=俘虜虐待の土屋ケース(横浜裁判第1号)、第4章=爆撃機搭乗員処刑事件(5つのケースがとりあげられている)、第5章=石毛事件など4つの俘虜虐待事件、が扱われている。最後の第6章が「現代への問いかけ」と題され、BC級戦犯裁判が問いかけるもの(イラクにおける米軍による捕虜虐待事件への言及もあり)について論じられている。
第3章の土屋ケースがもつ重要性は、横浜裁判の第1号事件とあり、裁判規則に関して激しく争っている点にある。アメリカ人のデイキンソン弁護人は「これではゲシュタポと同じではないか」という激しい表現まで用いて裁判規則に異議を唱えている。その他、日米の弁護人は可能な限りの弁護を尽くしたように(少なくとも本書の記述によれば)思われ、捕虜経験のある判士一名の忌避が受けいれられるなど、弁護側の主張にも耳を貸す訴訟指揮が行なわれている。ただ、死亡した捕虜の死亡診断書は、軍中央の指示に基づき死体を見ずに作成したものである(ちょっと信じ難い指示である)ことなど、被告に不利な事実が明らかとなり、有罪判決が下った(終身重労働)。
土屋ケースで弁護人が激しく争った点の一つに、宣誓供述書の証拠採用の是非がある。本書の第2章でもこの点につき解説されている。つまり、英米法においては「伝聞証拠の排除」が原則であるにもかかわらず、その原則を無視した戦犯裁判は不当なのではないか? という主張である。これは個人的な意見であるが、私は宣誓供述書(口述書)の証拠採用をもって米軍による戦犯裁判を批判するのは、ちょっと厳しすぎるのではないかと思う(もちろん、法廷証言を基本に裁判を進行した方がよかったことは前提として)。その理由は
- 口述書の証明力についての吟味が充分になされるなら、口述書に証拠能力を認めることのデメリットはある程度軽減できる。実際、審理の進め方をみると、陪審制ではないこともあり多分に糾問主義的であるように(素人目には)思われるが*1、糾問主義をとる大陸法の伝統では伝聞証拠も許容される。
- 口述書を排することによる裁判の長期化などのデメリットも大きい。弁護側も法廷証人によって自説を主張しなければならなくなる。日本側の被告・証人間には、深刻な利害の対立があるケース(典型的には命令者と実行者の間で)が少なくなく、反対尋問が被告に不利にはたらくケースが少なくないように思われる。
- 英米法においても、伝聞証拠の証拠採用が一切の例外なしに禁止されているわけではない。
などである。
第4章は本書の白眉と言える。というのも、「戦争犯罪人として米軍将兵を処刑したケース」が扱われているからである。この観点からは、軍律裁判を省略して処刑した西部軍事件、東海軍事件・岡田ケース、中部軍・憲兵隊ケースよりも、軍律裁判を経て処刑を行なった東海軍・伊藤ケース、台湾軍・小池ケースが一層興味深い。本書が述べるようにまさに「裁判を裁いた裁判」だからである。
これらのケースを(不謹慎に聞こえるのを承知でいえば)一層スリリングにしているのは、検察側、被告側共に二律背反を抱え込んでいるように思われることである。全てのケースに共通する論点を単純化して述べれば、
の2点であると言えよう。日本側が「戦争犯罪人を裁くことは正当」と主張すれば、米軍による戦犯裁判の正当性も認めねばならない。他方、検察側が日本の軍律裁判における手続きの簡略化を非難すると、横浜裁判における裁判規則の簡略化の妥当性が問題になりかねない。アメリカ側が、爆撃機の搭乗員が処刑されたことを戦争犯罪として告発した背景には、爆撃機搭乗員の士気の低下を防ぎたいという利己的な動機があったことは十分考えられる。他方で、軍律裁判を行ったケースは無条件で見逃すようなことをすれば、「とりあえず法的手続きの格好だけ整えておけばよい」という風潮を招きかねず、その意味では軍律裁判を行なったケースも訴追したこと(有罪判決を下すかどうかは別にして)には、正義の実現に資するところがあったと考えることもできる。
以上をふまえて考えると、米軍側、日本軍側双方に有利不利がある。順不同で列挙すると…
- 軍律裁判の省略は手続きの簡略化の極点と言えようが、「10のものを1にする」ならともかく「10のものを0にしてしまう」のはもはや簡略化の粋を越えており、やはり弁解の余地はないものと思われる。軍律裁判を行ったケースでは、地図で爆撃目標を指摘できるかどうかを「無差別爆撃かどうか」の判断基準とするなどそれなりに合理的な取り調べが行なわれているが、やはり弁護人をつけていないという落ち度は大きい(たとえ当時の日本の制度ではそれが可能だったとしても)。横浜法廷の被告がみな弁護人による弁護を受け、アメリカ人弁護人がしばしば極めて精力的な弁護活動を行なっていることと比較すれば、なおさらである。米兵にも国際法の知識が十分でない者がいたのか、民間人を標的にしたことを半ば得意げに話す者もいたようであるが、法的知識を持つ助言者がいれば処刑を逃れることができた可能性はゼロではない。
- 他方、手続きを簡略化する必要性という点では、米軍側には空襲に晒されていた日本側ほどの切迫性がなかった、ということは明らかである。
- 錦州爆撃・南京渡洋爆撃・重慶爆撃…と、日本軍こそが戦略爆撃のパイオニアであり、しかも事実上無差別爆撃を意味する命令が南京渡洋爆撃ではすでに出ていた。他方、爆撃の規模・発生した民間人への被害という点で米軍側の爆撃が日本軍のそれをはるかにうわまわることも自明である。弁護側がその点を激しく指摘したケースもあった。ただし、その差は日本軍の装備が劣っていたことによるのであって、日本側の良心によるものではない。日本軍にB29のような爆撃機と大量の爆弾があれば、東京大空襲に匹敵する重慶大空襲を行なった可能性は非常に高い。
記録が完全でないため不明な点も残るが、検察側は「戦犯として裁いたこと自体が戦争犯罪」という主張は実質的に撤回し、軍律裁判の手続き上の不備や処刑方法といった点に論点を絞ったようである(69頁以降)。確かに、日本が戦犯を裁くことそれ自体を否定したのではアメリカによる戦犯裁判の正当性そのものを(たとえポツダム宣言第10項があるにせよ)危うくしかねないわけで、これは当然と言えよう。
上記とは別の争点として、「命令により処刑を実行したものの責任」と「処刑方法の妥当性」が問題となっている。前者については、「命令に従っただけ」という抗弁は認めないと同時に、情状酌量の材料とすることはできると裁判規則は定めていたが、実際の判決もその方針に沿ったものとなっているようである。また、銃殺刑にした場合と(日本刀による)斬首、ひどい場合には空手や弓矢の稽古台にした(うまくゆかず、結局斬首)場合とで判決がはっきりと分かれている。斬首は失敗して不必要な苦痛を受刑者に与える方法であるから確かに非難の余地が大いにあるし、空手や弓矢の稽古台にしたケースはもはや処刑と言うより人体実験であり、指弾されて当然であろう。軍律裁判を省略して処刑したケース、不必要に苦痛を与える(可能性のある)方法で処刑されたケースで有罪判決が下ったことについては、量刑の妥当性について異論の余地があるにせよ、無理もないと言えるのではないだろうか。他方で、日本軍が定める軍律裁判の手続きを踏み、銃殺刑に処したケースで有罪判決が下った事例について、著者たちが「やり切れなさ」を感じた(246頁)というのはよく理解できる。台湾軍・小池ケースでは検察官が「遺族感情もあるので無罪にはできないが、重い刑にはしないので辛抱してくれ」という趣旨のことを語ったと被告自身が弁護人への手紙に書いているが(87頁)、もし本当だとすれば検察側にもこの「やり切れなさ」への共感はあったということになる(一種の司法取引により、最終的には重労働3年、未決勾留期間を刑期に算入となったので、たしかに「重い刑にはしない」という約束は守られた)。ただし、日本側にも「母親が空襲でなくなったので処刑役を申し出た被告」がいたり、国民感情に配慮して処刑を急いだ形跡があったりで、日本側の処分にもその種の「政治性」はみられることも申し添えておく。
*1:捕虜に灸を据えたことが虐待として訴えられたケースで、軍事委員会委員長は灸点を図解して説明することを求めるなど、被告にとって有利になる情報も積極的に収集している。