横浜裁判の一場面

machida77 さんや bat99 さんが『神を信ぜず』について紹介してくださっているので(表3、表4までw)、私も一つのエピソード(第一話「武士道裁判」に出てくるもの)を紹介しておきたい。
訴追された事件は次のようなもの。墜落したB29のパイロットの内7名(重傷者2名、内1名は間もなく死亡)が捕虜となり、「元気な連中」が大隊本部に連行されたあと残る重傷者が公衆の面前で斬首され、さらに「訓練」のため兵や見習士官が死体を銃剣で刺した。本書の記述によれば斬首した下士官の上官である中尉と死体を刺した見習士官などが起訴され、中尉は絞首刑となっている。(下士官は当初行方不明であったが中尉の処刑後に逮捕・起訴、重労働終身刑。)
さて、この裁判における最大の争点は、この殺害が被告の主張するように一種の安楽死としての「介錯」なのかどうか、であった。安楽死はともかく「介錯」をどう評価するかはもちろん異文化理解の問題である。アメリカ人の弁護人はつてを頼って「聖公会に牧師としてつとめる林五郎という人物」と、「日本歴史学の泰斗である元帝大教授中村孝也博士」の二人を証人として立て、「介錯」および「武士道」についての証言をさせた。また「当時、米軍法務局長カーペンター大佐は、この裁判に関与する米軍人たちに対して、日本精神を知るに良い機会だから充分に議論するように伝えたといわれる」、ともされている。
他方、検察側は捕虜を診断した軍医、近隣の病院長、当時の第52軍司令官などを証人に立て、殺害された捕虜には助かる余地があったこと、上司への報告を欠いた斬首が手続き的に不備なものであったことなどを証言させている(中尉から軍医へ、自分に有利な嘘をつくよう依頼した手紙もでてきた)。また「介錯」に関しては反対尋問で「本人の依頼がなくても介錯するのか」「すでに過去の習慣に過ぎないだろう」「武士道精神による行動は外国人にたいしてもおこなわれるのか」「負傷者に医薬を用いないのは、武士道の本意にそむくだろう」などと、訴訟の観点からは的を得た質問をしている。また被告人に対しては「被告は(……)戦友たちが数多くの介錯をおこなうのを見たと述べている。しかし、それらのなかには俘虜や負傷兵の苦痛をあわれんで首を斬った事例はないではないか」とも追求している。さらに法廷外で検察官は、林牧師に対して「日本には、窮鳥懐に入る時は猟夫もこれを殺さず、という諺があるが、どう思うか」とまで質問している。(以上、いずれも第一話「武士道裁判」による。)
公平のために述べておくと、すべての裁判がこのような調子だったわけではもちろんない。横浜裁判は唯一日本国内で行われたBC級戦犯裁判だったので、弁護側が証人を捜しやすかったであろうこと。海外の法廷に比べれれば日本人の目を意識したであろうこと。またパイロット殺害事件の裁判としては最初の例だったとされているのでより慎重な審理を期したであろうこと。こうしたことは考慮に入れねばならない。しかし「介錯」という行為の理解のために2人の証人に証言を許した法廷が、そしてお灸が医療行為であるという弁明を吟味するため針灸師やもぐさ行商人を証人として採用した法廷が、「ゴボウは日本では食材である」という弁明を頭からはねつけるなんてことが考えられるだろうか? 「ゴボウを食べさせただけで死刑」というはなしが(少なくとも横浜法廷に関する限り)荒唐無稽であると私が考えるのには、こういう理由があるのだ。