3つとも根っこは同じ

というわけでひとまとめに。


野良猫氏は結局、「南京事件否定論を論駁しようとするなら、特定の歴史家の主張にコミットしなければならない」理由を説明できなかったようである。そりゃあそうだよね。インテリジェント・デザイン説を否定するうえで、別に断続平衡説に対する態度を決める必要はないのと同じ。
ところで、南京事件否定論者に再反論するにあたってなぜミニマルな手段、すなわち南京事件の全体像についての主張を提示するのではなく、否定論の破綻をつくという手段をとるのか、といえば「そんなことは素人の手に余る」というのももちろんある、私の場合。笠原十九司秦郁彦のどちらが正しいか? なんてことは両者と同じ程度の調査をしてみなければ判断できないことだ(両者が公刊した著作について、その説得力を比較することはできても)。しかしもうひとつ理由はあって、要するに「都合の悪いことはなかったふりをする」人びとと議論するときには「全体像」なんて提示していてもらちがあかない、ということがある。
例えばこのところ野良猫氏が肩入れしていた ADON-K 氏の場合、青狐さんが

第十一軍総司令官として武漢戦を率いた岡村寧次大将が南京事件について受けた報告については、これまでも何度も紹介してきたが、その後発見された史料にははっきりと「約4〜5万の大殺戮」と明記されていた。

として史料を提示したのに対して

その後発見って書いてあるけどこれ前から有った話ですよね?


http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/chapter2-1.html
岡村寧次はどうか。「南京攻略時、数万の市民に村する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である」と回想録に書いていることは確かだ。しかし、この「回想録」は、一九六三年に「記憶を呼び戻して」書いたものである上、彼は当時南京戦に参加していない。一九三八年六月に「安全区委員会の被害届」を読んだ参謀などから上海で日本軍の暴行を開いただけであり、その中身も「掠奪・強姦」であった。民間人を対象とした大量殺害を行ったとは一言も言っていない。

と、別の史料についてのはなしにすり替えてしまう。野良猫氏の言動については十条さんがまとめて下さっているのでそちらを参照していただければよいだろう。煙さんも事例を挙げて解説してくださっている(この一文、追記)。「論点を絞らない」のは他ならぬ否定論者の方だ。


さて、「こりゃ思ったよりひどいな」と思わざるを得ないのが thefort 氏。私のこのエントリに対して
自称理詰め?を理詰め?ですかね?やり方がアホみたいですが。
自称理詰め?を理詰め?ですかね?やり方がアホみたいですが。2
という二つのエントリが。う〜ん、せめて「伝聞ばかりというのは私の認識不足でした、しかし…」という反応を期待していたのだが。いかに「否定論者ではない」と自称しようと、南京事件についての認識が否定論者並みだ、という私の判断は正しかったといわざるを得ない(残念ながら)。詳しくは別エントリで述べるが、とりあえず一点だけ。私が

明智光秀織田信長に対して謀反を起こし、信長を殺害したということに関する「反対尋問によるテストを経ている供述証拠」なんて私は知らないのですが。しかし本能寺の変を歴史教科書に記載することに異議を唱えている人間はいませんよね?

と書いたのに対する反応がこれ。

なのを勘違いしているのか知りませんが、当時の様々な記録で明らかになっていることに、誰も文句はつけないでしょうね?


例えば、五山の僧の日記や南蛮寺の記録など、他の立場から見て、利害関係を持ってすらいない人の記録に現れているわけですから?

はあ? 南京事件については、「できればそれをごまかしたい」という利害関係を持っている人間の証言すら存在することをこちらは主張したんですが? もちろん「他の立場から見て、利害関係を持ってすらいない人の記録」にも現われています。自己弁護のためにどんどん無茶なことを言いだす…というおなじみのパターンになってきましたね。


お次はここ(のコメント欄)。真面目に相手をするのもばからしくなってくるが、要するに
・オレ様(lovelovedog氏、以下同じ)は笹レポートの原文もその英訳も読まずに、その翻訳の正確さを判断できる
・オレ様は紀元1世紀のギリシャ語を読めなくても、福音書の翻訳の正確さについてなにごとかを語ることができる
・しかしドイツ語を読み書きできない人間はホロコーストについて語ることができない
・また中国語を読み書きできない人間は、南京事件について語ることができない
ということらしいですよ。すごいね! 個人的には lovelovedog 氏がホロコースト否定論に対して強いシンパシーを感じている人物だという結論に到達しつつあります。


最後に、二つ引用させていただく。まず例の『ホテル・ルワンダ』パンフレット論争についての hokusyu さんの発言

数の議論について。正確な虐殺数が最後の一人まで確定するまで、我々はその事件に対して語る言葉を持ち得ない、なんてことはありません。であるならば、当然アウシュビッツについても語ることは不可能になるからです。数の議論、それは、それが「固有の事件」「固有の死」に結び付けられる場合にのみ意味を持ち得るわけです。たとえば平和の礎や東京大空襲の名簿作成は、確かに尊い作業です。しかし、あらゆる虐殺において一人一人の名前が刻めるわけではない。南京事件もそうだし、もちろんホロコーストも。むしろ、20世紀に我々が経験したことは、「固有名を失った」圧倒的多数の無名の死者たちの前に、どう向き合えばいいのか、ということでは無かったでしょうか。

南京事件の場合、犠牲者の「数」や事件の全体像がなかなか確定しがたい理由の一つとして、敗戦時に旧日本軍が組織的に文書の焼却をおこなったこと、戦後も日本政府が保有する史料の公開に積極的でなかったことが挙げられる。つまり虐殺それ自体だけでなくその実態が明らかでないことについても日本は責任を負っているのである(事件直後にちゃんとした調査をしなかったことも含めて)。そのような状況で「詳細はよくわかっていない」というもの言いがどのような政治的効果を持つかは自明であろう。


もうひとつ、このエントリのコメント欄での seabass さんの発言。

歴史に裁判基準を持ち込む歴史修正主義者はよく見られますが、それは裁判には「百人の罪人を逃がすとも、一人の無実の人を作ることなかれ」という格言があるからではないでしょうか。つまり、「百個の歴史の真実を闇に葬り去ることになっても、一個の間違いはあってはならない。」というわけ。
(もしその「百個の歴史の真実」が旧日本軍の悪行だったりすると、尚良い。)
それぐらいの基準を持ち込まないと、歴史を「修正」することができないんでしょうね。


実際の学問では95%検定なんてものがまかり通っていますので(ようするに、20個に1個は「冤罪」があっても良いわけ)、どうして昔日本がやった悪行に限っては「絶対に冤罪があってはならない」のか、理由を求めたい所です。
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得られた結論が蓋然的なものでしかないとき、そこで判断停止するのが倫理的なふるまいであるとは限らない。むしろ「はっきりした結論は出ていない」という口実で見捨てられた被害者が多数いる、というのが水俣の教訓ではなかったか。




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