どんな証拠を突きつけても否認し続ける人びと

南京事件否定論者とはおよそまともな議論など成立しない、という好例。
まずはすでに煙さんがエントリにしておられるケースだが、日本軍には弾薬が不足していた(だから大虐殺なんてあったはずがない)という定番の否定論に対して、berry さんが次のようにコメント。

ところで、同じ『南京戦史資料集』660頁には第百十四師団「射耗弾薬概数調査表」が掲載されておりますが


第百十四師団『戦闘詳報』昭和十二年十二月十五日
品目      三八銃実包
戦闘前の携行数 2959650
受数      220320    
射耗数     591925    
残数      2494970 
補填を要する員数 464680 
摘要 本表射耗弾薬は金山衛上上陸以後南京に至る間の射耗弾薬とす
これ以外に「三年式機関銃実包」も832800発携行


南京戦に参加した9つの師団のうち1師団だけで380万発くらい携行していたということです。
ここから類推するに、9師団では数千万発に達すると思われます。


ADON-Kさんは、どうして、同じ『南京戦史資料集』掲載の第百十四師団「射耗弾薬概数調査表」を無視されたのでしょうか。


もう一度確認しますが


>>前提として日中戦争の最も初期である1967年12月の南京攻略戦の時点で日本軍が「弾薬のゆとり」がなかったことをまず提示しなければ、この問いは成り立たないと思います。


私は南京戦において1師団だけで約380万発の銃弾を携行していたという史料を提示しました。
これに対し、南京攻略戦の時点で日本軍が「弾薬のゆとり」がなかったという史料を提示していただかない限り、この問いは成り立たないでしょう。
(http://adon-k.seesaa.net/article/18421170.html?reload=2006-05-28T05:00:32)

日付に注目されたい(引用文中の「1967年」は「1937年」の間違い)。すでに南京が陥落した時点でこれだけの銃弾を保有していたということだ。捕虜や民間人を万の単位で殺害するには十分な数である(日本刀で殺害したケースをとりあえず除外して考えても)。戦闘詳報が戦果を過大に書くといったことはあるにしても、保有している弾薬数について過大な数を書く合理的な理由はなく、これは決定的な史料といってよかろう。第百十四師団は上海での苦戦を受けて杭州湾北岸への上陸作戦のために投入された師団で、それゆえ上海派遣軍所属だった師団よりは弾薬に余裕があった、という可能性は十分ある。しかしそれをいうなら、非常に多くの虐殺に関与しているとされる第十六師団(師団長は「略奪、強姦は軍の常だよ」と述べた中島中将)も中国軍が上海から退却を始めた後になって戦線に投入されているので、上海戦を当初から戦った師団に比べて消耗は少なかったはずだ。


で、これに対する野良猫氏の反応がこれ。

「日本軍は弾薬不足気味だし、弾薬数のチェックもあるし軍紀も厳しい。どうやって『虐殺』をしたというんでしょうね〜?」
 ……という疑問点に対して、
「弾薬はたっぷりあるぜ〜」という回答だけでは答えきれていませんね。berryさんが考えている『日本軍の虐殺』ってどういうイメージなんでしょうか?


1.大虐殺派と言われる「笠原説」のように、進撃路の村々や施設を焼き払いつつ民間人を撃ちまくった。
2.一応、中間派をベースとした上で、占領後に「安全区」で日本軍部隊が民間人を撃ちまくったというもの(城内の掃討戦や治安維持とは別に各部隊が暴走した)。
3.国民党軍の捕虜・便衣兵として連れ出された者達を射殺した。


「とにかく虐殺はあった!」ではよく解らないので、そのあたりをもう少し詳しくお願いします。
(後略)

ひとことで言えば「恥知らず」なレスだ。「日本軍は弾薬不足気味だし、弾薬数のチェックもあるし軍紀も厳しい。どうやって『虐殺』をしたというんでしょうね〜?」という疑問点に対して「弾薬はたっぷりあるぜ〜」という史料が提示されたのだから、否定論者がとるべき反応は
1) 弾薬不足が否定論の根拠にならないことは認め、以降「軍紀」に依って自説を主張する(まあ「軍紀厳重」説もすでに破綻しまくってるわけだが)
2) 提示された史料が捏造・誤記・特殊な例外(第百十四師団だけが弾薬を豊富にもっていた!)等であることを示して反論する
のどちらかでなければならない。しかし否定論者にそうした合理的なふるまいは期待できないわけで、これじゃあいつまでたっても議論は終わらない、というか議論は成立しないのである。


それから、「弾薬数のチェックもある」ってのもお笑いぐさ。旧日本軍に「員数あわせ」という珍にして妙なる文化があったことはよく知られているが、だからといって戦闘中に弾薬使ったら怒られる、なんてことがあるわきゃない。捕虜の殺害だって命令があっておこなっているのだし。
コメント欄でも少し触れたが、この種の「痛いところを突かれるとはなしをそらす・むちゃくちゃな言い抜けをする」というふるまいは否定論者の天性のようなもので、例えばここのコメント欄でのやりとり。国民党政府が「条約を破りつづけた」と非難していたのに、Jonah さんから「〔条約を破ったというのは〕九カ国条約や不戦条約を破った日本のことでしょうか。」というツッコミが入ると

 九カ国条約は、現在の六カ国協議のように各国が中国に求めていた利害が、複雑にからみあって結ばれた形式 的なものです。中国市場を求めていた米国主導によって、日本側が一方的に譲歩させられています。

などと言いだす。恐ろしいほどの欺瞞。
ちなみに、berry さんが提示した史料に対するブログ主の反応がこれ。

>berryさん
>私は「日本が武器弾薬が不足してなかった」とは述べていません。
 あなたの意見を聞いてるんですが、なぜ答えてくれないのですか?


>ADON-Kさんは、どうして、同じ『南京戦史資料集』掲載の第百十四師団「射耗弾薬概数調査表」を無視されたのでしょうか。
 なるほど、ここまで詳細なデータがあるんですね。それは知りませんでした。
それほど詳細なデータがあるのでしたらその後のデータもあると思いますが、それを比べれば弾薬を使ったかどうかわかりますね〜
ぜひお願いします。


あと質問内容は
3.なぜ弾薬のゆとりのなく、規律の厳しい(弾薬の数の点検もさせる)日本軍が他国でも見られない数の虐殺を行えたのか?
 ですよ?


>前提として日中戦争の最も初期である1967年12月の南京攻略戦の時点で日本軍が「弾薬のゆとり」がなかったことをまず提示しなければ、この問いは成り立たないと思います。
まずこの前提がおかしいです。


その前の日露戦争、その後の太平洋戦争、第二次上海事変でも武器不足に悩んでいますよね?
規律の厳しい弾薬の数の点検もさせるんですよね?
それなのに他国でも見られない数の虐殺を行えたのか?
なんでそんなことをした&出来たのかを聞いてるのに、ゆとりがある&ないことを証明しても私たちの問いの答えにはならないですよ。


それならば南京戦後に弾薬をバカスカ使っていることを示してもらえればこの問いの答えになります。
Posted by ADON-K at 2006年07月17日 03:45

類は友を呼ぶというか、不誠実極まりない。弾薬が足りなかったから大虐殺なんて不可能だ、と言っていたのに弾薬数のデータを示されると今度は「その後のデータも出せ」ときた。まずは己の妄想が破綻していることを認めろ、っての。問題は南京において大虐殺が可能だったかどうかなのだから、berry さんの「前提として日中戦争の最も初期である1967年12月の南京攻略戦の時点で日本軍が「弾薬のゆとり」がなかったことをまず提示しなければ、この問いは成り立たないと思います」という指摘は極めてもっともなのだが、「その前の日露戦争、その後の太平洋戦争、第二次上海事変でも武器不足に悩んでいますよね?」と的外れな返答。第二次上海事変で日本軍が「砲弾」の不足に悩まされたのは事実だが、捕虜を殺害するのに「砲弾」など使ってはいないから関係のないはなしである。「規律」については上述した通り。「なんでそんなことをした&出来たのかを聞いてるのに、ゆとりがある&ないことを証明しても私たちの問いの答えにはならないですよ」にはあきれてものが言えない…けど書くことはできる(w 「虐殺はないし、できたはずがない」という主張の根拠が「弾薬不足」だったんだろうが。


もうひとつの実例。「岡村寧次大将陣中感想録」についての青狐さんのエントリがとある掲示板で紹介されたのだが、それに対する否定論者の反応。

えーと、松井大将だっけ。それとも後任の誰かだったかな。
そこでの最高責任者が「何万人も犠牲者が居た」という見解をもっているとすると、当然だけど司令部の幕僚や
連隊長のような中級指揮官も知ってたはずなんだよな。そういうとこの整合性は合っているんだろうかね。
あと、証拠資料が当時ちゃんと書かれた日記なのか、あとからの回顧録かでも信憑性は変わってくるな。


「あった」という結論からの答え合わせと平行して、旧軍の関係者が残した資料から結論を探す検証も
必要だろうなあ。演繹法帰納法とかいうんだっけか?
(http://yy31.kakiko.com/test/read.cgi/x51pace/1134896438/644)

それを書いたのは何という人物ですか?信憑性はいかほどで?
その中で「民間人」はどのくらいですか?「戦争捕虜」の人数は?
(http://yy31.kakiko.com/test/read.cgi/x51pace/1134896438/664)

それで、国民党軍事顧問になった岡村寧次がどうかしましたか?
(http://yy31.kakiko.com/test/read.cgi/x51pace/1134896438/668)

国民党の軍事顧問になるような人物の記述を100%信じられないですね。
百人斬り訴訟の判決に準えて言うなら
「岡村寧次大将の感想録であり、全くの真実と認めることは出来ない」


厚生省引用援護局によって歪められた可能性も100ではないが、0でもない
(http://yy31.kakiko.com/test/read.cgi/x51pace/1134896438/671)

今となっては、自分の目で見て書いたんだか、又聞きで書いたんだかわかりませんがね。
プロパガンダかなんかで「我が軍はこれだけの南京氏の民を殺害した!」なんてのを聞いて信用して書いた可能性も100(略)
(http://yy31.kakiko.com/test/read.cgi/x51pace/1134896438/678)

先行する投稿も「岡村寧次大将陣中感想録」の引用もまともに読んでいないとおぼしきいい加減なレスもあるが、「国民党の軍事顧問になるような人物の記述を100%信じられない」とか「プロパガンダかなんかで「我が軍はこれだけの南京氏の民を殺害した!」なんてのを聞いて信用して書いた可能性も」なんてあたりが否定論者に特有の詭弁と言えるだろう。ちなみに岡村大将の情報源は青狐さんによれば次の通り

岡村大将に報告した宮崎参謀とは終戦時の大本営陸軍部作戦部長だった宮崎周一中将のこと。原田少将とは中支方面軍特務部長(のち中支派遣軍特務部長)原田熊吉少将で、ラーベの日記にも登場する。つまり、南京戦を戦った日本軍の特務部長であり、その原田少将が岡村の情報源である、ということの意味は重い。

これが信用できない、というのならもはや否定論者にはどんな証拠を突きつけても無駄だ、ということになろう。「南京事件の証拠は反対尋問を経ていない供述証拠ばかり」とか知ったかぶりをするお坊ちゃんは、否定論者のこうした実態をどう思うのだろうか。
青狐さんもおっしゃる通り、これは決定的な証拠と言うべきである。「戦果」なら過大にかき立てる動機もあるというものだが、これは自分が指揮する部隊の軍紀を把握するために司令官がおこなった聞き取り調査の結果なのであり、わざわざ犠牲者数を過大に見積もる合理的な理由はない。難点は調査対象となる地域が明記されていないことであり、農村部での加害まで把握していたのかどうかが気になるところだ(もし南京城周辺だけの虐殺が調査対象だったのなら、全体としてはさらに犠牲者数は増えることになる)。




(初出はこちら