秦郁彦、「論争史から観た南京虐殺事件」

昭和史の謎を追う』(文春文庫)の上巻に所収(上・下2巻)。とある件(後述)で参照してみたくなって、「なんか持ってるような気がするなぁ…しかしこれだけ分厚い文庫上下巻ならもっと印象強いはずなのになぁ…」と不安を抱えつつ買った。多分二度買いはしてないと思う。それにしても同じようなタイトルの本、読んだ記憶があるなぁ…と、アマゾンで「昭和史の謎」をキーワードに検索したら…いろいろありますなぁ。保阪氏のを読んだのかな。それにしても、保守派って「○○史の謎」が好き、という私の印象は間違ってるだろうか。特に近現代史の場合、歴史をトリヴイアのネタかなんかとして消費するのを促進するようで、「〜の謎」ってタイトルは好みでないなぁ。


さて、初出は1989年の『正論』なので、かなり前の文章。「論争史」というにはやや下世話なところもある。中間派は右からも左からも叩かれる…とお嘆きだが、ギャクに右も左も叩けて結構じゃありませんか、と言ってみたくなる(w


 いくつか印象に残ったところをば紹介。「うっかり数を出せない理由」という小見出しがついた節で、
 虐殺事件とあれば、その規模とくに虐殺数が問題にされるのは当然だろうが、南京陥落(…)から日本降伏までの八年近く、この町は日本軍の占領下にあった。したがって中国政府(蒋介石の国民政府)が復帰したあと、東京裁判のためにわずかな生き残り兵士や住民の見聞報告を集計して大急ぎでまとめたのが、三十〜四十万の数字であった。
 裁判でも日本側の具体的な反証がでなかったため、漠然とながらこの数字が通説化した形になった。(…)
と、日本側の問題点を指摘しているのが目につく。東京裁判では虐殺の存否ではなくA級戦犯らの責任に的を絞った弁護活動を行なったためだが、そのせいか中国人生存者の証言に反対尋問せずにすませていたりする。そんな調子では虐殺の規模について検察側の主張が大きく取り入れられても文句は言えまい。
また、「中国に30万人説を撤回させよ」という主張については
 奥野元国土庁長官は「中国政府にかけあって紀念館のかかげる三十万の数字を訂正させろ」と迫って外務省を困惑させたが、代わる数字の持ちあわせがあったのだろうか。へたな数字を持ち出して根拠をただされれば恥をかくだけで、終戦直後の泥ナワとは言え、生きのこり被害者の証言を積みあげた三十万に対抗できる数字をわが方から出すのは不可能と思う。
と。秦氏反日サヨ認定されても気の毒なのであまり誉めずにおくが、「中間派」の中国側主張への政治的態度としては非常にフェアであろう。また自分の「四万人」説について、「かなり余裕を持たせたとりあえずの概算であり、新たな証拠が出現すれば、多い方へ向かって修正されるのは当然」としている(強調引用者)。20年近くたった今日、どう考えているのか…。

さてこの本を買うきっかけとなった「とある件」というのはmyhoney0079氏のこのエントリの「で、曽根一夫の著作をよく引用してるけど、これは「秦も騙された」でいいんですよね?」という箇所である。私は個別の証言者について関心をもって調べたことがほとんどないので、とりあえず一般論として次のようにコメントしておいた。

(…)
秦郁彦が『昭和史の謎を追う』で反論しているそうですから、それを読んでから判断しても遅くないんじゃないでしょうか?
それから、どうも南京事件に関しては史料の信憑性に関して非常に単純な考え方をする方々が少なくないように見えるのは、不思議なことです。
一般に回想録の類いで自己の功績を過大に書いたり、誤りを過少に書いたりといった類いの歪曲が入り込むのは普通、というか当然のことでしょう。証言することに心理的な抵抗のある事柄についてはなおさらです。一カ所嘘や間違いがあったからその回想録は全部却下…といったことをしていたら歴史家には使える史料がなくなってしまいます。
(2006/08/15 10:38)

さしあたり、myhoney0079氏のソース(こちら)における曽根氏についての記述の真偽を云々する情報の持ちあわせがないのでそのあたりには立ち入らない。しかし曽根氏への非難が実は直接「南京事件はあった」という通説を覆すにはほど遠いものでしかない、ということはわかる。仮に「見たことをやったことのように語っている」のだとすれば証人としての誠実さには問題があるとしても、だからといって語られたことが丸々嘘だったことにはならない。第一、南京事件の大枠については日本軍の戦闘詳報や陣中日記等によって裏付け、目撃談や「やった」という証言はどちらかといえばディテールの記述に利用する、というのが秦氏を含む歴史研究者の一般的な手法であろう。
不思議でならないのは、曽根氏の「経歴詐称」(私は特に調べてみたことがないので、とりあえず「経歴詐称とされているもの」という認識)をとりあげて「証言は嘘っぱち」と主張する人物が、畠中秀夫こと阿羅健一(or阿羅健一こと畠中秀夫?)や田中正明の書くことにとりたてて疑問をもっているように思えない、という点である。一点の瑕疵でもあればその証言はすべて却下…というのなら、本名と筆名(ないし二つの筆名?)を使い分けそのことを一定期間公表していなかった人物や、南京事件に関して重要な資料である松井大将の日記を改竄した人物の書くものもすべて否定されるべきではないのか? この種の、非常にご都合主義的な史料評価が目立つのも否定論の特徴である。「南京事件の命令書を出せ」と主張していた人びとが、「中国も毒ガスを使った」とか「日本軍の軍紀は厳正だった」といった主張については実にいい加減な根拠で行なっていた、というのを思い出す(ここ、のことね)。